あらすじ
夜になると、村はずれの川のほうから聞こえてくるという、不気味な音と声。
「小豆をとごうか」
「人をとって食おうか」
村の子どもたちは「あずきとぎ婆」を恐れ、日が暮れる前には家へ帰っていました。
けれど、実際にその姿を見たという者は誰もいません。
ある夜、好奇心の強い若者・太一は、噂の正体を確かめるため、一人で暗い川辺へ向かいます。
そこで太一が目にしたものとは――。
本文
むかしむかし、山と川に囲まれた小さな村がありました。
昼間の村は、とても穏やかなところでした。
山からは鳥の鳴き声が聞こえ、道では子どもたちが走り回っています。
畑では大人たちが働き、川の水は日の光を受けてきらきらと輝いていました。
ところが――。
日が西の山へ沈み始めると、村の様子は一変しました。
「そろそろ帰るんだよ」
「暗くなる前に家へ入りなさい」
大人たちは子どもたちを呼び戻します。
子どもたちも、夕焼けが消えるころには遊びをやめ、急いで家へ帰りました。
やがて戸が閉まり、外を歩く者はいなくなります。
なぜなら、この村には昔から恐ろしい噂があったからです。
夜になると、村はずれの川に――
「あずきとぎ婆」が現れる。
そう言われていたのです。
月のない夜。
村がしんと静まり返ったころ。
川のほうから、ときどき奇妙な音が聞こえてきました。
ザッ……。
ザッ……。
ザッ……。
何かを水の中でかき回しているような音です。
しばらくすると、
ザッ……。
ザッ……。
音が止まります。
そして暗闇の向こうから、
「小豆を……とごうか……」
低く、しわがれた声が聞こえてきます。
少しの静けさのあと――。
「人を……とって……食おうか……」
その声を聞いた子どもたちは、慌てて布団の中へもぐり込みました。
「今の、あずきとぎ婆?」
「しっ。声を出すんじゃないよ」
家の外では、また、
ザッ……。
ザッ……。
ザッ……。
と、水をかき混ぜる音が聞こえます。
大人たちは子どもたちによく言いました。
「日が暮れてから川へ行くんじゃないぞ」
「どうして?」
「そんなことをしたら、あずきとぎ婆に見つかってしまう」
「見つかったら?」
「川へ引きずり込まれて、食べられてしまうかもしれんぞ」
子どもたちは震え上がりました。
そのため村では、夜に川へ近づく子どもなど一人もいませんでした。
そんな村に、太一という若者が住んでいました。
太一は畑仕事をよく手伝う働き者でしたが、人一倍好奇心の強い若者でもありました。
ある日の夕方。
村人たちが集まって話をしていると、また「あずきとぎ婆」の話になりました。
「昨日の夜も聞こえたぞ」
「ああ。ずいぶん近くから聞こえた気がしたな」
「恐ろしいことだ」
それを聞いていた太一が尋ねました。
「なあ、みんな」
「何だ?」
「本当に、あずきとぎ婆を見たことがあるのかい?」
村人たちは顔を見合わせました。
「いや……わしはない」
「俺も声だけだ」
「わたしも見たことはないねえ」
太一は首をかしげました。
「じゃあ、誰も見たことがないのか?」
「昔からいると言われているんだ」
「でも、本当に人を食べるのか?」
「さあ……」
村人たちは困ったような顔をしました。
太一はますます気になりました。
誰も姿を見たことがない。
それなのに、村中の人が恐れている。
「だったら、俺が確かめてみよう」
「何?」
村人たちが一斉に太一を見ました。
「今夜、川へ行ってみる」
「やめろ!」
「何を考えているんだ!」
「あずきとぎ婆に食われてしまうぞ!」
けれど太一は笑いました。
「もし本当に恐ろしい化け物だったら、そのときは逃げてくるさ」
日が暮れました。
西の空に残っていた赤い光も、やがて山の向こうへ消えていきました。
太一は提灯に火を入れ、一人で家を出ました。
村の道は、昼間とはまるで違って見えました。
提灯の小さな明かりが、足元だけをぼんやり照らしています。
その先には暗闇が広がっていました。
ヒュウ……。
山から冷たい風が吹いてきました。
木の枝が揺れます。
カサカサ……。
ガサッ。
太一は立ち止まりました。
振り返ります。
けれど、誰もいません。
「……風か」
そうつぶやき、また歩き始めました。
村の家々が少しずつ遠ざかっていきます。
やがて最後の家を通り過ぎると、辺りには木と草しかありません。
提灯の明かりが揺れるたび、木の影が人の姿のように伸びたり縮んだりしました。
川へ近づくにつれて、水の音が大きくなってきます。
サアアアア……。
太一は提灯を少し高く掲げました。
「この辺りのはずだが……」
そのときでした。
ザッ……。
太一の足が止まりました。
ザッ……。
ザッ……。
川の流れる音とは違います。
何かを水の中で洗っているような音でした。
太一は息をひそめました。
ザッ……。
ザッ……。
ザッ……。
音は川辺の少し先から聞こえてきます。
けれど、木々に隠れて何も見えません。
太一は一歩だけ前へ進みました。
その瞬間――。
音が止まりました。
しん……。
辺りが急に静かになりました。
風まで止まったようでした。
太一は提灯を握る手に力を込めました。
すると。
暗い川辺から、声がしました。
「小豆を……とごうか……」
太一の背筋に、ぞくりと冷たいものが走りました。
聞き間違いではありません。
村で何度も聞いた、あの声です。
太一は動けなくなりました。
そして――。
「人を……とって……食おうか……」
低い声が、夜の川に響きました。
太一の心臓が、どくん、どくんと鳴りました。
逃げようか。
一瞬、そう思いました。
けれど、ここまで来たのです。
太一は大きく息を吸いました。
「よし……」
提灯を握りしめ、声のするほうへゆっくり歩き始めました。
一歩。
また一歩。
草を踏むたびに、
サッ。
サッ。
と音がします。
その間にも、
ザッ……。
ザッ……。
再び、何かを洗う音が聞こえてきました。
太一は木の陰から、そっと川辺をのぞきました。
そこに――。
人影がありました。
月明かりの下に、一人のお婆さんが座っています。
長い髪。
丸まった背中。
そして目の前には、大きな桶。
お婆さんは両手を桶の中へ入れ、
ザッ。
ザッ。
と何かを洗っていました。
太一はごくりと唾を飲み込みました。
「……あずきとぎ婆?」
お婆さんの手が止まりました。
ゆっくりと顔が上がります。
「……誰だい?」
太一は思わず一歩後ろへ下がりました。
けれど、逃げませんでした。
提灯を前へ出し、お婆さんの顔を照らします。
よく見ると、どこにでもいそうな普通のお婆さんでした。
「こんな夜更けに、何をしているんだい」
お婆さんが尋ねました。
太一は恐る恐る聞き返しました。
「あなたが……あずきとぎ婆なのかい?」
お婆さんは目を丸くしました。
やがて、
「ほっほっほっ」
と笑いました。
「そう呼ばれることもあるねえ」
太一は桶を見ました。
水の中には、たくさんの赤い小豆が入っています。
お婆さんは、本当に小豆をといでいたのです。
「じゃあ……」
太一はもう一つ、どうしても聞きたかったことを尋ねました。
「人をとって食うっていうのは、本当なのかい?」
すると、お婆さんはしばらくぽかんとしていました。
そして突然、
「ほっほっほっほ!」
と大笑いしました。
「まさか。人なんぞ食べるものか」
「でも、さっき言っていただろう?」
「小豆をとごうか、人をとって食おうか、って?」
「そうだよ」
お婆さんは桶の小豆をゆっくりとかき混ぜました。
ザッ……。
ザッ……。
「昔、この川は今よりずっと流れが速くてねえ」
お婆さんは話し始めました。
「夜になると足元も見えない。そんなところへ子どもが遊びに来たら、川へ落ちてしまうかもしれないだろう?」
太一は川を見ました。
暗闇の中を、黒い水が流れています。
昼間なら何でもない場所でも、夜になると川岸と水の境目さえよく見えません。
「だから大人たちは、子どもが夜の川へ近づかないように怖い話をしたのさ」
「それが、あずきとぎ婆?」
「そういうことだねえ」
お婆さんは笑いました。
そして桶の中を太一に見せました。
「ほら」
そこには、きれいに洗われた小豆がたくさん入っていました。
「もうすぐ村の祭りだろう?」
「ああ」
「明日の赤飯に使う小豆さ」
太一は桶の中を見つめ、それからお婆さんの顔を見ました。
さっきまであれほど恐ろしく聞こえていた水音も、今ではただ小豆を洗っている音にしか聞こえません。
「なんだ……そうだったのか」
太一は大きく息を吐きました。
翌朝。
太一は村へ戻ると、昨夜の出来事をみんなに話しました。
「お化けなんかじゃなかったよ。本当に小豆をといでいるお婆さんだった」
村人たちは驚きました。
「本当か?」
「ああ。それに人を食べたりもしない」
すると村のお年寄りたちは、顔を見合わせて笑いました。
「そうかもしれんな」
「だが、あずきとぎ婆の話があったから、子どもたちは夜の川へ近づかなかった」
太一は昨夜見た川を思い出しました。
真っ暗な川辺。
足元も見えない道。
黒い水の流れ。
確かに、子どもが近づけば危険です。
太一はうなずきました。
それからも村では、日が暮れるころになると、大人たちが子どもたちへ声をかけました。
「そろそろ家へ帰るんだよ」
「川の近くへ行くんじゃないよ」
子どもたちは、
「はーい!」
と返事をして家へ帰っていきました。
夜になると、村はまた静かになります。
そして、ときどき。
誰もいないはずの川のほうから――。
ザッ……。
ザッ……。
ザッ……。
水をかき混ぜるような音が聞こえてきます。
「小豆を……とごうか……」
しばらくして、
「人を……とって……食おうか……」
その声が本当に、あのお婆さんのものなのか。
それとも――。
暗い川辺には、別の「あずきとぎ婆」がいるのか。
それを確かめに行く者は、もう誰もいませんでした。
おしまい。
登場人物
- 太一
好奇心旺盛で勇気のある若者。誰も姿を見たことがない「あずきとぎ婆」の正体を確かめるため、夜の川へ向かいます。 - あずきとぎ婆
夜の川辺で小豆をとぐお婆さん。「小豆をとごうか、人をとって食おうか」という不気味な声の主として、村人たちから恐れられています。 - 村人たち
昔から伝わる「あずきとぎ婆」の話を知り、夜になると川へ近づかないようにして暮らしています。
教訓
- 噂や思い込みだけでは、本当のことが分からない場合があります。
- 怖いと感じるものにも、確かめてみると意外な理由が隠れていることがあります。
- 昔から伝わる怖い話や言い伝えには、危険な場所から子どもたちを遠ざけるなど、暮らしの知恵が込められていることがあります。
親子で話したいポイント
- 太一は、どうして怖い川へ行こうと思ったのかな?
- 太一が川へ向かう途中、どんな気持ちだったと思う?
- 「怖いと思っていたけれど、本当は違った」という経験はあるかな?
- どうして大人は「危ない場所へ行ってはいけない」と言うのだろう?
- 最後に聞こえた声は、本当にあのお婆さんだったと思う?
保育士向け活用ポイント
- 怪談らしい「音」や「間」を楽しめるため、夏の読み聞かせやおばけをテーマにした活動に取り入れやすい作品です。
- 「ザッ、ザッ、ザッ」「小豆をとごうか」といった部分は、声の大きさや速さを変えて読むことで、子どもたちが物語の緊張感を楽しめます。
- 「約束やルールには理由がある」というテーマから、川や道路など危険な場所での安全について考える活動へつなげられます。
- 年長児では、「噂で聞いたこと」と「自分で確かめたこと」の違いについて話し合うこともできます。
- 最後に「あの声は本当にお婆さんだったのかな?」と問いかけることで、物語の余韻を残しながら子どもたちの想像を広げられます。


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