あらすじ
むかし、熊野へ向かう若い僧・安珍に、清姫という娘が恋をしました。
安珍は旅の途中で清姫に「また戻ってくる」と約束します。
清姫はその言葉を信じて待ち続けますが、安珍は戻ることなく、逃げるように旅を続けてしまいます。
約束を破られたことを知った清姫は安珍を追いかけ、深い悲しみと激しい怒りの中で、やがて恐ろしい蛇の姿へと変わってしまいます。
道成寺に伝わる、愛と悲しみ、そして執念を描いた有名な怪談です。
本文
むかしむかし、熊野へ向かって旅をする一人の若い僧がいました。
名前を安珍といいます。
安珍は長い山道を歩き、いくつもの村を通りながら熊野を目指していました。
ある日の夕方。
日が山の向こうへ沈みかけたころ、安珍は旅の途中にある宿へ泊まることになりました。
その宿には、清姫という娘がいました。
清姫は安珍を見ると、すぐに心をひかれました。
旅の話を聞いたり、食事を運んだりするうちに、清姫はますます安珍を慕うようになっていきました。
やがて、安珍が宿を出る朝がやってきました。
清姫は寂しそうに安珍を見つめました。
「もう行ってしまうのですか。」
「熊野へ向かわなければなりません。」
安珍が答えると、清姫は言いました。
「どうか、またここへ帰ってきてください。」
安珍は困りました。
自分は旅を続ける僧です。
けれど、悲しそうな清姫を前にして、はっきり断ることができませんでした。
「旅が終わったら、きっと戻ってきましょう。」
その言葉を聞くと、清姫の顔が明るくなりました。
「本当ですね?」
「ええ。」
清姫はその約束を信じ、安珍を見送りました。
安珍の姿が道の向こうへ消えてからも、清姫はいつまでもその方向を見つめていました。
それから清姫は、安珍が戻ってくる日を待ち続けました。
一日。
また一日。
けれど、安珍は戻ってきません。
一方、熊野へ着いた安珍は、清姫との約束を思い出していました。
しかし、戻ることはしませんでした。
「私は僧なのだから、このまま先へ進まなくてはならない。」
そう考えた安珍は、清姫の待つ宿を避けるように旅を続けました。
何日待っても帰ってこない安珍を、清姫は心配しました。
「何かあったのかしら……。」
旅の途中で病気になったのかもしれません。
道に迷っているのかもしれません。
清姫は初め、そう思っていました。
ところが、やがて安珍がすでに熊野を離れ、自分のところへ戻らず先へ進んだことを知りました。
「どうして……。」
清姫は信じられませんでした。
「戻ってくると、約束したのに……。」
胸の奥に、冷たいものが広がっていきました。
悲しさ。
寂しさ。
そして、自分だけが信じて待っていたことへの悔しさ。
清姫は、じっとしていることができなくなりました。
「安珍さまに会わなくては。」
清姫は宿を飛び出し、安珍の後を追いました。
山道を越え、村を抜け、ひたすら走りました。
「安珍さま!」
何度呼んでも返事はありません。
それでも清姫は走り続けました。
やがて遠くの道に、人影が見えました。
「安珍さま!」
その声を聞いて、安珍が振り返りました。
追いかけてきた清姫の姿を見た瞬間、安珍の顔がこわばりました。
清姫は息を切らしながら、ようやく安珍のところへたどり着きました。
「どうして戻ってきてくださらなかったのですか。」
安珍は答えません。
「約束したでしょう。」
清姫の声が震えました。
「私は、ずっと待っていたのです。」
それでも安珍は、清姫から離れようとしました。
そして再び、逃げるように道を進み始めました。
「待ってください!」
清姫は追いかけます。
けれど安珍は止まりません。
「どうして逃げるのです!」
清姫の悲しみは、少しずつ激しい怒りへと変わっていきました。
風が吹き始めました。
ざわざわ……。
山の木々が大きく揺れます。
清姫は安珍の背中を見つめながら、なおも追い続けました。
「待って……。」
その声は、もう先ほどまでの清姫の声とは違っていました。
低く、苦しそうな声でした。
そして――。
清姫の体に異変が起こり始めました。
肌が変わり、体が長く伸びていきます。
清姫自身にも、もう止めることができません。
悲しみと怒りに包まれたその姿は、やがて大きな蛇へと変わっていきました。
安珍が振り返ると、そこにはもう清姫の姿はありませんでした。
「……!」
大蛇がこちらへ向かってきます。
安珍は恐ろしくなり、必死に逃げました。
大蛇となった清姫も、すさまじい勢いで後を追います。
安珍は走り続け、ようやく道成寺へたどり着きました。
「助けてください!」
寺の人々は、怯えた安珍を中へ入れました。
「大蛇が追ってくるのです!」
安珍は辺りを見回しました。
どこか隠れる場所はないか。
そのとき、大きな寺の鐘が目に入りました。
安珍は鐘の中へ身を隠しました。
寺の中は静まり返りました。
安珍は鐘の中で息をひそめます。
どくん。
どくん。
自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえました。
しばらくすると――。
ずる……。
ずるずる……。
外から何かが近づいてくる音がしました。
安珍は息を止めました。
音は、少しずつ近づいてきます。
ずる……。
ずるずる……。
やがて、その音は鐘のすぐそばで止まりました。
しん……。
何も聞こえません。
安珍は暗い鐘の中で、じっと動かずにいました。
すると突然――。
ぎしっ……。
鐘がわずかに揺れました。
大蛇となった清姫が、鐘に体を巻きつけ始めたのです。
ぐるり。
また、ぐるり。
鐘の外側を、大きな蛇の体が締めつけていきます。
安珍は逃げることができません。
そして清姫は、鐘を強く締めつけながら、激しい炎を吐きました。
ごうっ――。
炎に包まれ、寺の鐘は次第に熱くなっていきました。
寺の人々は恐ろしくて、近づくこともできません。
やがて炎がおさまり、辺りに静けさが戻りました。
そこには、焼けた鐘だけが残されていました。
安珍も、清姫も、もう姿を見せることはありませんでした。
ただ道成寺には、二人に起きた悲しく恐ろしい出来事が、長く語り継がれることになったといいます。
おしまい。
登場人物
安珍
熊野へ向かう若い僧。清姫に戻ってくると約束しますが、その約束を守らず、彼女から逃げようとします。
清姫
安珍を慕い、戻ってくるという言葉を信じて待つ娘。約束を破られた悲しみと怒りから安珍を追いかけ、やがて大蛇の姿へと変わります。
道成寺の人々
大蛇となった清姫から逃れてきた安珍を寺へ入れる人々。
教訓
約束をするときには、その言葉に責任を持つことが大切。
相手の気持ちを軽く扱ったり、向き合わずに逃げたりすることで、さらに相手を傷つけてしまうことがある。
悲しみや怒りが大きくなったときは、一人で抱え込まず、誰かに気持ちを伝えることが大切。
親子で話したいポイント
清姫はどうして、安珍を追いかけるほど悲しくなったのかな?
安珍は清姫に、どのように気持ちを伝えればよかったのだろう?
誰かと約束するときには、どんなことを大切にしたらいい?
怒りや悲しみがとても強くなったとき、どうしたら気持ちを落ち着かせることができるかな?
保育士向け活用ポイント
幼児向けに扱う場合は、物語の恐ろしい結末を強調しすぎず、「約束したことへの責任」「相手の気持ちに向き合うこと」「悲しみや怒りを言葉で伝えること」を中心に取り上げることができます。
清姫の気持ちが「楽しみ→心配→悲しみ→怒り」と変化していく様子に注目すると、感情について考える活動にもつなげられます。


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