あらすじ
むかしむかし、山あいの小さな村に、一人暮らしの男がいました。
毎日の暮らしに追われていた男は、ある日、
「ごはんを食べないお嫁さんが来てくれたら、食べ物も減らなくて助かるのになあ。」
とつぶやきます。
すると数日後、本当に「私は食べ物をほとんど食べません」という美しい女性が現れ、男のお嫁さんになりました。
女房はよく働き、男は幸せに暮らしていましたが、不思議なことに蔵のお米だけが毎日少しずつ減っていきます。
いったい誰が食べているのでしょう。
不審に思った男がこっそり家の中をのぞいた時、女房の恐ろしい秘密を目にすることになります。
本文
むかしむかし、山あいの小さな村に、一人の男が住んでいました。
男は毎日朝早くから畑を耕し、山へ薪を取りに行き、一生懸命働いていました。
けれど、一人暮らしはなかなか大変です。
朝起きれば自分で火をおこし、ご飯を炊かなければなりません。
仕事から疲れて帰ってきても、洗濯や片づけをするのは自分です。
「はあ……。」
ある日の夕方、男は一人でご飯を食べながら、大きなため息をつきました。
「誰かお嫁さんが来てくれたらなあ。」
そうすれば、家のことも少しは楽になるでしょう。
けれど、もう一人増えれば、そのぶん食べ物も必要になります。
男は茶碗に残ったご飯を見ながら、ぽつりと言いました。
「できれば、ごはんを食べないお嫁さんだと助かるんだけどなあ。」
もちろん、そんな人がいるはずはありません。
男も冗談のつもりでした。
ところが――。
それから数日後のことです。
とん、とん。
夕暮れ時、家の戸をたたく音がしました。
「誰だろう?」
男が戸を開けると、そこに一人の女性が立っていました。
見たことのない女性でした。
長い黒髪に、整った顔立ち。
とても美しい人です。
けれど、なぜこんな山あいの村へ一人でやって来たのでしょう。
女性は男を見つめると、静かに言いました。
「もしよろしければ、私をお嫁さんにしてください。」
「え?」
男は目を丸くしました。
「私のお嫁さんに?」
女性は静かにうなずきました。
「私はよく働きます。」
そして、少し間を置いてから続けました。
「それに、食べ物をほとんど食べません。」
男はさらに驚きました。
「食べない?」
「はい。」
男は心の中で思いました。
――まるで、この前の願いを聞いていたみたいだ。
少し不思議には思いましたが、男はそれ以上深く考えませんでした。
「それはありがたい!」
こうして女性は、男の女房になりました。
女房は言葉どおり、とても働き者でした。
朝早く起きて家の中を掃除し、洗濯をします。
男が畑へ出れば、一緒に仕事を手伝いました。
男が山から帰ってくるころには、家の中はきれいに片づいています。
「こんなに暮らしが楽になるなんて。」
男は大喜びでした。
しかも、食事の時間になっても、女房はほとんど何も口にしません。
男が、
「少しくらい食べたらどうだ?」
と尋ねても、
「私は大丈夫です。」
と微笑むだけでした。
男はすっかり満足していました。
ところが――。
しばらくすると、妙なことに気づきました。
ある朝、男が蔵へ米を取りに行った時のことです。
「……あれ?」
米びつをのぞき込みました。
「こんなに少なかったかな。」
少し前にたっぷり入れておいたはずのお米が、ずいぶん減っています。
「おかしいな。」
男は首をかしげました。
自分が食べる量は、以前とほとんど変わっていません。
女房は食べないと言っています。
「気のせいか。」
男はそう思うことにしました。
けれど次の日も、その次の日も――。
お米は減っていきました。
昨日より少ない。
その次の日は、もっと少ない。
「やっぱりおかしい。」
男は米びつの前で腕を組みました。
「いったい、誰が食べているんだ?」
ねずみでしょうか。
けれど、それにしては減り方が多すぎます。
男は女房を疑いかけました。
しかし、食事の時の女房は、本当にほとんど何も食べません。
「まさかな……。」
そんなある日のこと。
男は用事があって、朝から町へ出かけることになりました。
「今日は少し遅くなるかもしれない。」
女房にそう伝えると、
「わかりました。お気をつけて。」
女房はいつものように笑顔で見送りました。
男は山道を歩き、町へ向かいました。
ところが、しばらく歩いたところで足を止めました。
「あっ。」
大事なものを家に忘れてきたことに気づいたのです。
「困ったな。取りに戻るか。」
男は来た道を引き返しました。
家の近くまで戻ってくると、辺りは妙に静かでした。
男は戸を開けようとして――。
ぴたりと手を止めました。
家の中から、音がします。
もぐ……。
もぐもぐ……。
ぱくっ。
ぱくぱく……。
「なんだ?」
誰かが、ものすごい勢いで何かを食べています。
男は耳を澄ませました。
もぐもぐ。
ぱくぱく。
ごくん。
「まさか……。」
男の胸がどくどくと鳴り始めました。
女房は、食べ物をほとんど食べないと言っていました。
それなら、この音はいったい何なのでしょう。
男は戸を開けず、そっと家の裏へ回りました。
そして、ほんの少しだけ開いていた戸の隙間から、中をのぞき込みました。
そこには女房がいました。
女房の前には、たくさんのおにぎりが並んでいます。
一つ。
二つ。
三つ。
十個どころではありません。
女房は次々と大きなおにぎりを手に取っていました。
「やっぱり食べていたのか……。」
男がそう思った、その時です。
女房がおにぎりを持ち上げました。
けれど、その手は口元へ向かいません。
頭の上へ伸びていきます。
「……え?」
男は目を凝らしました。
女房の長い黒髪が、ゆっくりと左右へ分かれていきます。
ざわ……。
男の背中に冷たいものが走りました。
髪の間から見えたもの。
それは――。
口でした。
女房の頭に、もう一つ大きな口が開いていたのです。
ぱかっ。
男は息をのみました。
大きく開いた口の中に、白い歯が並んでいます。
女房はおにぎりを持ち上げると、その口へ放り込みました。
ぱくっ。
もぐもぐ……。
ごくん。
そして、また一つ。
ぱくっ。
また一つ。
ぱくっ。
女房は恐ろしいほどの速さで、おにぎりを飲み込んでいきます。
男は声を出すこともできませんでした。
――蔵のお米が減っていたのは、このせいだったのか。
男が思わず一歩後ろへ下がった、その時です。
ぱきっ。
足元の小枝を踏んでしまいました。
女房の動きが止まりました。
しん……。
家の中が、急に静かになりました。
男の額から汗が流れました。
ゆっくり。
ゆっくりと。
女房の顔が、戸の方へ向きました。
「……あなた。」
男は体をこわばらせました。
「見てしまったのですね。」
女房は立ち上がりました。
男は逃げることもできず、その場に立ち尽くしていました。
やがて女房は戸を開けました。
けれど、その顔は怒ってはいませんでした。
どこか悲しそうでした。
「私は……山の精霊です。」
「山の精霊?」
男は震える声で聞き返しました。
女房は静かにうなずきました。
「あなたが『食べないお嫁さんがほしい』と願った声を聞きました。」
「それで、ここへ来たのです。」
男は女房を見つめました。
「では、どうして食べないなんて言ったんだ?」
女房は少しうつむきました。
「本当の姿を知れば、あなたが怖がると思ったからです。」
「だから、人の前では食べないようにしていました。」
男は何も言えませんでした。
確かに、女房の頭にもう一つの口があると知った時、恐ろしいと思いました。
今も胸はどきどきしています。
けれど――。
男はこれまでの暮らしを思い出しました。
毎朝きれいに掃除された家。
洗われた着物。
一緒に働いてくれた畑。
疲れて帰ってきた時に迎えてくれた女房の笑顔。
しばらく黙っていた男は、やがて口を開きました。
「確かに驚いたよ。」
女房は顔を上げました。
「とても驚いた。」
男は苦笑いしました。
「だけど、今まで助けてもらったことまでなくなるわけじゃない。」
女房は黙って男を見つめています。
「毎日働いてくれて、ありがとう。」
「それに……食べるなら、最初からそう言ってくれればよかったんだ。」
女房は驚いたような顔をしました。
やがて、少しだけ微笑みました。
「ありがとうございます。」
けれど、その笑顔はどこか寂しそうでした。
「でも、私はそろそろ山へ帰る時が来たようです。」
「帰るのか?」
「はい。」
女房は静かにうなずきました。
次の日の朝。
山には薄い霧がかかっていました。
女房は家の前に立ち、男に頭を下げました。
「今までありがとうございました。」
男も頭を下げました。
「こちらこそ。」
女房は山へ向かって歩き出しました。
一歩。
また一歩。
白い霧の中へ入っていきます。
男はその後ろ姿を、いつまでも見送っていました。
やがて女房の姿は、山の霧の中へすうっと消えていきました。
家には、また男一人が残りました。
朝も。
昼も。
夜も。
家の中は以前よりずっと静かに感じられました。
ある日、男は一人でご飯を食べていました。
炊きたての白いご飯。
畑で採れた野菜。
味噌汁。
男は茶碗を手に取りました。
そして、女房のことを思い出しました。
「食べないお嫁さんがほしい、なんて言っていたけど……。」
男は小さく笑いました。
「食べるのは、生きているからなんだな。」
それから男は、食べ物を粗末にしなくなりました。
畑で米や野菜を作る時も、一つ一つを大切に育てました。
食事の前には手を合わせ、
「いただきます。」
食べ終われば、
「ごちそうさまでした。」
と言うようになりました。
そして、ときどき山を見上げました。
女房が帰っていった深い山。
風が吹くと、木々が、
ざわざわ……。
と揺れます。
男はその音を聞きながら、あの不思議な女房と過ごした日々を、いつまでも忘れなかったそうです。
おしまい。
登場人物
- 男
山あいの村で一人暮らしをしている働き者の男性。「食べないお嫁さんがほしい」と願ったことで、不思議な女房と暮らすことになります。 - 女房
「食べ物をほとんど食べない」と言って男の前に現れた美しい女性。働き者ですが、男には隠している秘密があります。 - 山の精霊
女房の本当の姿。髪の間にもう一つの口を持つ、不思議な存在です。
教訓
- 食べることは、生きていくために欠かせない大切な営みである。
- 自分にとって都合のよいことだけを求めると、大切なことを見失ってしまうことがある。
- 相手には自分の知らない一面や事情があることを忘れず、知ろうとすることが大切。
親子で話したいポイント
- 男は、どうして「食べないお嫁さんがほしい」と思ったのかな?
- お米が減っていることに気づいた時、男はどんな気持ちだったと思う?
- 女房の秘密を見た時、男はどうして驚いたのかな?
- 毎日のご飯が食べられるまでに、どんな人たちが関わっているだろう?
- 「いただきます」「ごちそうさま」には、どんな気持ちが込められていると思う?
保育士向け活用ポイント
- 食べ物を「減るもの」「もったいないもの」としてだけではなく、生きるために必要なものとして考える食育の導入に活用できます。
- 食材を育てる人、運ぶ人、料理する人など、毎日の食事を支えている人たちへの感謝について考える活動にもつなげられます。
- 女房の秘密が明らかになる場面では、声を落としたり、髪が分かれていくところで間を取ったりすることで、子どもでも楽しめる範囲の怪談らしい緊張感を演出できます。
- 年長児では、「自分と違うところを知った時にどうするか」「知らないことを怖いと決めつけていないか」といったテーマで話し合うこともできます。


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