あらすじ
むかしむかし、ある城下町の大きな商家に、体のあまり丈夫ではない若旦那が暮らしていました。
雪が降り積もる寒い冬のある日、寝込んでいた若旦那が、
「みかんが食べたい。」
とつぶやきます。
ところが、その年は雪の多い厳しい冬。町のどこを探しても、みかんは一つも残っていません。
若旦那の願いを聞いた番頭さんは、「なんとか食べさせてあげたい」と、雪の中を何日も歩き回ってみかんを探します。
そしてようやく見つけたのは、黄金色に輝くたった一つのみかん。
しかし、その値段はなんと千両でした。
それでも番頭さんは、大切な若旦那のためにみかんを持ち帰ります。
一つのみかんをめぐって、人を思う気持ちと、お金では買うことのできない大切なものが描かれるお話です。
本文
むかしむかし、ある城下町に、とても大きな商家がありました。
店先には毎日たくさんの品物が並び、朝から晩まで多くのお客でにぎわっています。
店には何人もの奉公人が働き、その中でも店のことをよく知り、主人から厚く信頼されている番頭さんがいました。
その商家には、一人の若旦那がいました。
若旦那は穏やかで、店で働く人たちにも優しく接する人でした。
けれど、子どものころからあまり体が丈夫ではありません。
特に寒い冬になると、熱を出したり、食欲をなくしたりして、何日も布団で休むことがありました。
その年の冬は、いつも以上に厳しい寒さでした。
朝から晩まで雪が降り続き、城下町の屋根も道も真っ白です。
軒先には長いつららが下がり、道を歩けば足が雪の中へずぼりと沈みました。
そんな寒さの中、若旦那はまた体調を崩してしまいました。
何日も布団から起き上がることができず、食事もほとんど口にしません。
お父さんもお母さんも心配していました。
「何か食べたいものはないかい?」
「おかゆでも作ろうか。」
若旦那は首を横に振るばかりでした。
ところが、ある日のこと。
若旦那が布団の中から、小さな声でつぶやきました。
「……みかん。」
お母さんが顔を近づけました。
「何だい?」
「みかんが食べたいなあ。」
お父さんとお母さんは顔を見合わせました。
「みかん?」
「この季節にかい?」
若旦那は申し訳なさそうに言いました。
「うん。」
「なぜだかわからないけれど、急に食べたくなったんだ。」
今のように冷蔵庫もなければ、季節を問わず果物を育てられるような設備もない時代です。
秋から冬に出回ったみかんも、冬が深まるころにはほとんど残っていません。
しかも、その年は寒さが厳しく、雪もたくさん降っています。
「困ったな……。」
お父さんがつぶやきました。
その話を聞いていた番頭さんが前へ出ました。
「旦那様。」
「私が探してまいります。」
「しかし、この雪だぞ。」
「町に残っているとも思えん。」
それでも番頭さんは言いました。
「どこかに一つくらい、残っているかもしれません。」
「若旦那が久しぶりに食べたいとおっしゃったものです。」
「探すだけ探してみましょう。」
そう言うと、番頭さんは厚い着物を身につけ、雪の町へ出ていきました。
まず向かったのは、いつも店へ野菜や果物を届けてくれる八百屋です。
「ごめんください。」
「みかんは残っていませんか?」
八百屋の主人は首を横に振りました。
「みかんかい?」
「今年の分は、もうとっくに売り切れたよ。」
「一つでもいいんです。」
「倉の中に残っていませんか?」
「悪いねえ。本当に一つもないんだ。」
番頭さんは次の店へ向かいました。
「みかんはありませんか?」
「ないねえ。」
また次の店へ。
「一つだけでも。」
「この季節じゃ無理だよ。」
町の市場にも行きました。
果物を扱う商人にも尋ねました。
けれど、どこへ行っても答えは同じでした。
「もうない。」
「今年の分は終わった。」
「春まで待つしかないね。」
それでも番頭さんは諦めません。
雪の降る日も歩きました。
びゅうびゅうと冷たい風が吹く日にも出かけました。
わらじは雪で濡れ、手は冷たさでかじかみました。
それでも、
「若旦那に食べてもらいたい。」
その一心で探し続けました。
やがて城下町を離れ、隣町へも足を延ばしました。
そこでも八百屋を一軒ずつ訪ねました。
「みかんを探しているんです。」
「一つでも構いません。」
しかし、やはり見つかりません。
一日が過ぎました。
二日が過ぎました。
何日探しても、みかんは見つかりません。
番頭さんにも、
――やはり無理なのだろうか。
そんな思いが浮かび始めました。
けれど、家で寝込んでいる若旦那の顔を思い出すと、諦めることができませんでした。
そしてある日のこと。
番頭さんが遠くの町まで足を延ばし、古くから果物を扱っている商人を訪ねました。
「みかんを探しています。」
商人は驚いた顔をしました。
「この真冬に?」
「はい。」
「一つでいいのです。」
商人はしばらく黙っていました。
そして、
「……一つだけならある。」
と答えました。
番頭さんは思わず身を乗り出しました。
「本当ですか!」
「ああ。」
「だが、少し事情がある。」
商人は番頭さんを店の奥へ案内しました。
さらに奥にある、ひんやりとした蔵へ入ります。
商人は大切そうに置かれていた箱を取り出しました。
そして、ゆっくりとふたを開けます。
中には――。
たった一つ。
黄金色のみかんが入っていました。
「これだ。」
番頭さんは目を輝かせました。
「ようやく見つけた……。」
傷もなく、丸く美しいみかんです。
ほんのりと甘い香りもします。
「ぜひ譲ってください。」
番頭さんが言うと、商人は静かに答えました。
「千両だ。」
「……え?」
番頭さんは耳を疑いました。
「今、何と?」
「千両。」
千両といえば、とんでもない大金です。
普通のみかんなら、到底考えられない値段でした。
「千両……。」
番頭さんはみかんを見つめました。
たった一つのみかん。
それに千両。
あまりにも高い値段です。
けれど、これを逃せば、もうどこにもみかんはないかもしれません。
番頭さんは、布団の中で弱々しく、
「みかんが食べたい。」
と言った若旦那の顔を思い出しました。
そして決心しました。
「わかりました。」
「そのみかん、いただきます。」
商人は驚きました。
「本当にいいのかい?」
「はい。」
「若旦那のためです。」
番頭さんは、みかんを壊さないよう大切に包んでもらいました。
そして胸に抱え、急いで商家へ戻りました。
雪道を転ばないよう、一歩ずつ慎重に歩きます。
ようやく店へ戻ると、奉公人たちが集まってきました。
「番頭さん!」
「見つかったんですか?」
番頭さんは包みを掲げました。
「ああ。」
「見つけたぞ。」
「本当に?」
「この真冬に?」
お父さんとお母さんも驚きました。
番頭さんは若旦那の部屋へ向かいました。
「若旦那。」
「見つけてまいりましたよ。」
布団の中にいた若旦那が、ゆっくり顔を上げました。
「本当に?」
番頭さんが包みを開きます。
そこには、鮮やかな黄金色のみかんがありました。
若旦那の顔がぱっと明るくなりました。
「みかんだ……。」
久しぶりに見る若旦那の笑顔に、みんなもほっとしました。
若旦那は大切そうにみかんを手に取りました。
そして、ゆっくり皮をむいていきます。
ぷつっ。
皮が破れると、爽やかな甘い香りが部屋いっぱいに広がりました。
「いい匂い……。」
若旦那は一房取ると、口に入れました。
ゆっくりとかみしめます。
甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がりました。
若旦那は目を丸くしました。
「おいしい。」
もう一房。
そして、もう一房。
お父さんもお母さんも、番頭さんも、黙ってその様子を見守っていました。
やがて若旦那が尋ねました。
「番頭さん。」
「はい。」
「これを見つけるの、大変だったでしょう?」
番頭さんは笑いました。
「少しばかり歩きました。」
「少しばかり?」
若旦那は番頭さんのわらじを見ました。
雪道を何日も歩いたせいで、すっかり傷んでいます。
手も寒さで赤くなっていました。
「町中を探してくれたんだね。」
番頭さんは少し照れくさそうに言いました。
「若旦那が食べたいとおっしゃいましたから。」
若旦那は、手の中のみかんを見つめました。
そして静かに言いました。
「僕は、このみかんを食べられたことも嬉しい。」
「でも、それより嬉しいことがあるよ。」
番頭さんが首をかしげます。
「何でしょう。」
「僕のために、こんな雪の中を何日も探してくれたこと。」
「そのことが、一番嬉しいんだ。」
番頭さんは何も言わず、少しだけ頭を下げました。
若旦那は残ったみかんを大切そうに食べました。
部屋には、まだ甘い香りが残っています。
それから少しずつ、若旦那は食欲を取り戻していきました。
何日かすると布団から起き上がれるようになり、春が近づくころには店にも顔を出せるようになりました。
そして翌年の秋。
若旦那は庭の一角に、小さなみかんの木を植えました。
「どうしてみかんの木を?」
番頭さんが尋ねると、若旦那は笑いました。
「もう、真冬に番頭さんを町中走り回らせないためだよ。」
番頭さんも笑いました。
「それは助かります。」
若旦那は小さな木を見ながら言いました。
「いつか、たくさん実がなったら、みんなで食べよう。」
「店のみんなも、町の子どもたちも。」
年月が過ぎました。
小さかったみかんの木は少しずつ大きくなり、やがて枝いっぱいに黄金色の実をつけるようになりました。
収穫の日になると、若旦那と番頭さんは一緒にみかんを取りました。
店で働く人たちにも配りました。
近所の人たちにも。
そして町の子どもたちにも。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう!」
子どもたちは、うれしそうにみかんを受け取りました。
その様子を見ながら、若旦那と番頭さんは顔を見合わせて笑いました。
庭には、甘いみかんの香りが広がっていました。
おしまい。
登場人物
- 若旦那
大きな商家の息子。体はあまり丈夫ではありませんが、周囲の人たちへの感謝を忘れない心優しい人物です。 - 番頭さん
商家を支える働き者。寝込んだ若旦那の「みかんが食べたい」という願いをかなえるため、雪の中を何日も歩いて探し続けます。 - 商家の主人と奥さん
若旦那の両親。体調を崩した息子を心配し、食欲が戻ることを願っています。 - みかんを持つ商人
真冬にもかかわらず、たった一つのみかんを大切に保管していた商人です。
教訓
- 誰かを思って行動する気持ちは、物そのもの以上の価値を持つことがある。
- 人から受けた親切や努力に気づき、感謝を伝えることが大切。
- 本当の価値は、値段の高さだけでは決まらない。
- 受け取った喜びを自分だけのものにせず、周りの人へ分けることで、新しい喜びにつながる。
親子で話したいポイント
- 番頭さんは、どうして何日もみかんを探し続けられたのかな?
- たった一つのみかんが千両もしたのは、どうしてだと思う?
- 若旦那が、みかんを食べられたこと以上に嬉しかったのは何だった?
- 番頭さんは、若旦那の言葉を聞いてどんな気持ちになったと思う?
- 誰かが自分のために頑張ってくれて、嬉しかったことはあるかな?
- 若旦那は、どうして庭にみかんの木を植えたのだろう?
保育士向け活用ポイント
「ありがとう」を伝える活動に
若旦那が番頭さんの努力に気づいて感謝する場面をきっかけに、「自分は誰にありがとうを伝えたい?」と考える活動へ発展させることができます。
思いやりと感謝について考える題材に
番頭さんが若旦那のために雪の中を探し続ける姿から、「誰かのためにできること」や「してもらったことへの感謝」について話し合えます。
「物の値段」と「価値」を考えるきっかけに
一つのみかんが千両という場面から、「どうして普通のみかんがこんなに高くなったのだろう?」と問いかけ、物の希少性や価値について考えることができます。
冬の果物や食育活動へ
実際のみかんを観察したり、皮をむいて香りを楽しんだりすることで、五感を使った食育活動へつなげられます。昔と今では食べられる季節がどのように違うのかを比べても楽しめます。


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