漁師とその妻|世界の名作・昔話(グリム童話)

グリム童話

あらすじ

むかし、海のそばの小さな家に、貧しい漁師とその妻が暮らしていました。

ある日、漁師が海で釣りをしていると、不思議な魚がかかります。

その魚は人間の言葉を話し、「海へ帰してくれたら、願いをかなえてあげる」と告げました。

心優しい漁師は何も望まず、魚を海へ逃がします。

ところが、その話を聞いた妻は「何も頼まなかったなんてもったいない」と漁師を海へ向かわせます。

最初は小さな願いだったはずが、妻は新しい暮らしを手に入れるたびに、さらに大きなものを欲しがるようになりました。

家、城、そしてもっと大きな力へ――。

妻の願いが大きくなるにつれ、穏やかだった海も少しずつ姿を変えていきます。

本文

むかしむかし、海のそばに一人の漁師とその妻が暮らしていました。

二人が住んでいたのは、とても小さな家でした。

古くて狭く、立派な家具もありません。

お金もたくさんあるわけではありませんでした。

それでも漁師は毎日海へ出て、魚をとって暮らしていました。

ある日のこと。

漁師はいつものように海へ向かいました。

その日の海は穏やかでした。

ざざーん。

ざざーん。

青い海の上を、気持ちのよい風が吹いています。

漁師は釣り糸を海へ垂らしました。

しばらく待っていると――。

ぐぐっ。

「おや?」

釣り糸が強く引かれました。

「これは大きいぞ。」

漁師は力を込めて引き上げました。

ざばっ!

海の中から現れたのは、とても大きな魚でした。

うろこが光を受け、きらきらと輝いています。

「こんな魚は初めて見たな。」

漁師が驚いていると――。

「漁師さん。」

どこからか声がしました。

漁師は辺りを見回しました。

「誰だ?」

「ここです。」

漁師が手元を見ると、なんと釣り上げた魚が口を動かしています。

「魚が……しゃべった!」

漁師は目を丸くしました。

魚は言いました。

「どうか私を海へ帰してください。」

「お前、人間の言葉が話せるのか?」

「はい。もし私を逃がしてくれるなら、お礼をしましょう。」

けれど漁師は首を振りました。

「お礼なんていらないよ。」

そして魚を両手で持ち上げると、そっと海へ戻してやりました。

ぽちゃん。

魚は水の中へ潜り、やがて見えなくなりました。

「不思議なこともあるものだ。」

漁師はそうつぶやくと、その日は家へ帰りました。

家に着くと、妻が尋ねました。

「今日は何か釣れたの?」

「それがな、とても不思議な魚が釣れたんだ。」

漁師は、魚が人間の言葉を話したことを妻に聞かせました。

「それで?」

「海へ帰してくれと言うから、逃がしてやった。」

妻は驚きました。

「それだけ?」

「それだけって?」

「願いをかなえてくれる魚だったんでしょう?」

「そう言っていたな。」

「それなのに、何も頼まなかったの?」

妻はあきれたように漁師を見ました。

「せっかくのチャンスだったのに!」

「でも、別に欲しいものなんて……。」

「私はあるわ。」

妻は家の中を見回しました。

「こんな小さな家ではなく、もう少し立派な家に住みたい。」

「この家でも暮らしていけるじゃないか。」

「いいから、魚のところへ行ってお願いしてきて。」

漁師は困りました。

せっかく逃がした魚に、あとから願いを頼みに行くのは気が進みません。

それでも妻に何度も言われ、漁師は海へ向かいました。

海はまだ穏やかでした。

ざざーん。

ざざーん。

漁師は海に向かって呼びかけました。

すると――。

水面がゆらりと揺れ、あの魚が姿を現しました。

「どうしました、漁師さん。」

漁師は申し訳なさそうに言いました。

「実は、妻がもう少し立派な家に住みたいと言っているんだ。」

魚は静かに答えました。

「分かりました。家へ帰ってみなさい。」

「いいのか?」

「ええ。」

漁師が家へ戻ると、驚きました。

それまで住んでいた小さな家がなくなり、前よりずっと立派な家が建っていたのです。

「すごい……。」

妻は大喜びでした。

「ほら、頼んでよかったでしょう?」

部屋は広くなり、暮らしもずっと快適になりました。

漁師は思いました。

「これなら妻も満足するだろう。」

ところが――。

しばらくすると、妻はまた不満を言い始めました。

「この家も悪くないけれど……。」

「どうした?」

「もっと大きな家に住めたらいいと思わない?」

漁師は驚きました。

「この前まで、あの小さな家で暮らしていたじゃないか。」

「でも、あの魚ならもっと大きな願いだってかなえられるでしょう?」

妻は漁師に、また海へ行くよう言いました。

漁師は気が進みませんでした。

けれど妻は聞きません。

仕方なく、再び海へ向かいました。

すると、前より少し風が強くなっていました。

ざあっ。

ざざーん。

海の色も、どこか暗く見えます。

漁師は魚を呼びました。

魚が姿を現します。

「今度はどうしました?」

「妻が……もっと大きな家を欲しがっているんだ。」

魚は静かに言いました。

「家へ帰ってみなさい。」

漁師が戻ると、さらに大きな家が建っていました。

妻は喜びました。

けれど――。

それでも満足は長く続きませんでした。

やがて妻は言いました。

「私は、お城に住みたい。」

「お城?」

漁師は耳を疑いました。

「こんなに立派な家があるじゃないか。」

「でも、お城はもっと立派でしょう?」

「もう十分じゃないか。」

「十分じゃないわ。」

妻はまた、漁師を海へ向かわせました。

漁師は重たい足取りで海へ歩きました。

海へ近づくにつれて、風が強くなっていきます。

ごうっ。

ざばーん!

波が岩へぶつかり、白いしぶきが上がりました。

「なんだか海の様子がおかしいな……。」

漁師は不安になりました。

それでも魚を呼びます。

やがて、荒れる波の間から魚が現れました。

「今度は何を望んでいるのですか?」

漁師はうつむきながら答えました。

「妻が……お城に住みたいと言っている。」

魚はしばらく漁師を見つめました。

そして言いました。

「家へ帰ってみなさい。」

漁師が戻ると、そこには大きなお城が建っていました。

高い塔。

広い部屋。

立派な家具。

妻は大喜びです。

「これよ! 私が欲しかったのは!」

けれど漁師は、どこか落ち着きませんでした。

「これでもう満足だろう?」

妻は答えませんでした。

しばらくの間は、豪華なお城での暮らしを楽しんでいました。

ところが、やがて妻はまた考え始めました。

もっと。

もっと立派なものを。

もっと大きなものを。

もっと強い力を。

「お城が手に入るなら、もっと大きな願いだってかなうはず。」

妻の願いは、少しずつ大きくなっていきました。

漁師は何度も言いました。

「もう十分じゃないか。」

けれど妻は首を振ります。

「いいえ。まだよ。」

そのたびに漁師は海へ向かいました。

そして願いが大きくなるたび、海の様子も変わっていきました。

最初は青く穏やかだった海。

それが灰色になり。

さらに暗くなり。

波は高くなっていきました。

ざばーん!

ごおおおっ!

空には黒い雲が広がりました。

漁師は海へ行くことが、だんだん怖くなってきました。

「もうやめよう。」

漁師は妻に頼みました。

「これだけあれば十分じゃないか。」

しかし妻の願いは止まりません。

とうとう妻は言いました。

「私は、海そのものを支配したい。」

漁師は言葉を失いました。

「海を……?」

「そうよ。」

「そんなことまで望むのか?」

「早く魚のところへ行って。」

「でも――。」

「行って!」

漁師は仕方なく、また海へ向かいました。

外へ出ると、空は真っ暗でした。

まだ夜ではありません。

それなのに、厚い雲が空を覆い、昼間とは思えないほど暗くなっていました。

ごおおおおっ!

風が吹き荒れます。

木々が大きく揺れています。

海へ近づくと、これまで見たこともないような大波が押し寄せていました。

ざばああん!

漁師は立っているのもやっとです。

「魚よ!」

風に負けないよう、漁師は大声で呼びました。

「魚よ、出てきてくれ!」

何度か呼ぶと――。

荒れ狂う波の向こうに、あの魚が姿を現しました。

漁師は震える声で言いました。

「妻が……海そのものを支配したいと言っている。」

魚はしばらく何も言いませんでした。

荒れる海の中で、ただ静かに漁師を見ています。

そして、ゆっくりと言いました。

「もう、それ以上は望んではいけません。」

次の瞬間――。

ごおおおっ!

大きな風が吹きました。

漁師は思わず目を閉じました。

そして、しばらくして目を開けると――。

海が静かになっていました。

黒い雲も少しずつ消えていきます。

漁師は急いで家へ戻りました。

すると――。

「あっ……。」

大きなお城は、どこにもありません。

立派な家具も。

広い部屋も。

妻が欲しがったすべてのものも。

何もありません。

そこにあったのは――。

二人が最初に暮らしていた、小さな家でした。

妻は家の前に立っていました。

漁師も何も言いませんでした。

妻も、しばらく何も言いませんでした。

二人の前には、昔と同じ小さな家があります。

遠くから、穏やかな波の音が聞こえてきました。

ざざーん。

ざざーん。

漁師と妻は、小さな家の中へ入っていきました。

そして二人は、またそこで暮らし始めました。

おしまい。

登場人物

漁師
海で不思議な魚を釣り上げる心優しい男性。魚を何の見返りも求めずに海へ逃がしますが、妻に頼まれ、何度も魚のもとへ願いを伝えに行きます。

妻
最初はもう少し立派な家を望みますが、願いがかなうたびに、さらに大きな家や城、より大きな力を欲しがるようになります。

不思議な魚
人間の言葉を話し、不思議な力で願いをかなえる魚。漁師に助けてもらったことから、妻の願いを次々にかなえていきます。

教訓

欲しいものを手に入れても、さらに多くを求め続ければ、いつまでも満足できなくなることがある。

新しいものを求めるだけではなく、今すでに持っているものの良さに気づくことも大切。

本当の豊かさは、大きな家やたくさんの物を持っていることだけで決まるものではない。

親子で話したいポイント

妻は、願いがかなったのにどうしてまた次のものが欲しくなったのかな?

漁師はどうして「もう十分じゃないか」と思ったのだろう?

自分が今持っているもので、大切にしているものは何?

欲しいものが手に入って「うれしい」と感じたことはある?

「これで十分」と思えるのは、どんなときだろう?

保育士向け活用ポイント

「欲しいもの」と「本当に大切なもの」の違いについて考える題材として活用できます。

子どもに「欲しがることは悪いこと」と伝えるのではなく、「欲しいものが手に入ったとき、どんな気持ちになる?」「もっと欲しくなることはある?」など、身近な経験から考える活動につなげると扱いやすい物語です。

また、おもちゃや制作材料など身近な物を大切に使うことや、今ある物で工夫して遊ぶことなど、園生活での具体的な行動について考えるきっかけにもできます。

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