あらすじ
むかしむかし、山あいの小さな村に、貧しいけれど心優しい若者が暮らしていました。
ある日、若者は美しく心の優しい娘と出会い、やがて二人は夫婦になります。
裕福ではなくても、二人で働き、笑い合う毎日は幸せなものでした。
ところが若者は、仕事のため遠くの町へ行かなければならなくなります。
離れている間も妻の顔を見られるようにと、若者は妻の姿を絵に描き、大切に持って旅立ちました。
しかし、その美しい絵が身分の高い人物の目に留まったことから、二人の穏やかな暮らしは思いもよらない方向へ動き始めます。
本文
むかしむかし、山々に囲まれた小さな村に、一人の若者が暮らしていました。
若者は小さな家に住み、毎日朝早くから働いていました。
畑を耕し、薪を割り、ときには山へ入って木を切りました。
けれど、どれほど一生懸命働いても、暮らしはなかなか楽になりません。
家にあるものといえば、古い鍋や茶碗、わずかな布団くらい。
食事も、麦や野菜を中心にした質素なものでした。
それでも若者は、不平ばかり言うような人ではありませんでした。
「今日も働けた。それだけでもありがたい」
そう言って、毎日を真面目に暮らしていました。
そんなある日のことです。
若者は村で、一人の娘と出会いました。
若者は思わず足を止めました。
とても美しい娘だったからです。
けれど、若者が心をひかれたのは、その美しさだけではありませんでした。
道端で重そうな荷物を持っているおばあさんを見つければ、
「お持ちしますよ」
と声をかけます。
泣いている子どもがいれば、
「どうしたの?」
としゃがんで話を聞きます。
誰に対しても分け隔てなく接する、心の優しい娘でした。
若者は、いつしか娘のことを思うようになりました。
娘もまた、貧しくても懸命に働き、人に優しく接する若者に心をひかれていきました。
やがて二人は夫婦になりました。
とはいえ、結婚したからといって、急に暮らしが豊かになるわけではありません。
二人が住んだのは、若者がそれまで暮らしていた小さな家でした。
雨の日には屋根から雨漏りすることもあります。
冬になれば、隙間から冷たい風が入ってきます。
それでも二人は幸せでした。
朝になると、
「今日も頑張ろう」
と声をかけ合って仕事を始めます。
妻は家の仕事をしながら畑を手伝い、若者も外での仕事を終えると、できることは何でも手伝いました。
夜になれば、囲炉裏のそばに二人で座りました。
「今日は畑で大きな大根が採れたよ」
「それなら明日は煮物にしましょう」
そんな何でもない話をして、二人で笑いました。
ある夜、妻が言いました。
「不思議ですね」
「何が?」
「前より食べるものが増えたわけでも、家が立派になったわけでもないのに、今のほうがずっと幸せです」
若者は笑いました。
「私も同じことを思っていたよ」
二人にとって、一緒に過ごす時間こそが何より大切だったのです。
ところがある日、若者のもとへ遠くの町で働く話が舞い込みました。
今よりも少し多くのお金を稼ぐことができる仕事でした。
「これなら、暮らしを少し楽にできるかもしれない」
若者は妻に相談しました。
「しばらく遠くの町へ働きに行こうと思う」
妻は少し寂しそうな顔をしました。
「どのくらい?」
「分からない。すぐには帰れないかもしれない」
妻は黙って若者を見つめました。
やがて、にっこり笑いました。
「あなたが決めたのなら、私は待っています」
「寂しくないか?」
「寂しいですよ」
妻はそう言ってから、
「でも、あなたが元気で帰ってきてくれることが一番です」
と続けました。
旅立ちの日が近づくにつれ、若者は妻と離れることがますます寂しくなっていきました。
ある日、若者は妻の顔をじっと見つめて言いました。
「どうしたのです?」
「しばらく君の顔を見られなくなると思ったら、急に寂しくなってね」
若者は少し考えました。
「そうだ」
紙と筆を用意すると、妻を座らせました。
「君の姿を絵にして持っていこう」
妻はくすりと笑いました。
「上手に描いてくださいね」
「もちろんだ」
若者は何度も妻の顔を見ながら、丁寧に筆を動かしました。
髪。
目。
口元。
いつも自分に向けてくれる、穏やかな笑顔。
時間をかけて、一枚の絵を描き上げました。
「できた」
妻がのぞき込みます。
そこには、優しく微笑む妻の姿が描かれていました。
「まあ。ずいぶんきれいに描いてくれたのですね」
「本物にはかなわないけれどね」
妻は照れたように笑いました。
若者はその絵を大切にしまいました。
そして旅立ちの日。
「行ってきます」
「気をつけて」
二人は何度も振り返りながら別れました。
若者は山を越え、川を渡り、何日も歩いて遠くの町へたどり着きました。
町には大きな家が並び、村では見たこともないほどたくさんの人が行き交っていました。
若者はそこで働き始めました。
朝から夕方まで、毎日懸命に働きました。
仕事を終えるころには、体はくたくたです。
それでも夜になると、若者には楽しみがありました。
荷物の中から一枚の絵を取り出します。
妻の絵です。
「今日も一日終わったよ」
絵の中の妻へ話しかけます。
「そっちは元気かな」
もちろん、絵が答えることはありません。
それでも若者は、妻がすぐそばにいるような気持ちになりました。
「もう少し働いたら帰るからな」
そう言って、また大切に絵をしまいました。
ところがある日。
若者が妻の絵を眺めているところを、偶然、一人の男が見かけました。
「おい」
若者は驚いて振り返りました。
その男は、この辺りでも知られた身分の高い人物に仕える者でした。
「今見ていたものは何だ?」
「妻の絵です」
「見せてみろ」
若者はためらいました。
けれど強く言われ、仕方なく絵を見せました。
男は絵を広げると、目を見張りました。
「これは……」
そこには、美しい女性の姿が描かれています。
「この女が、お前の妻なのか?」
「はい」
「本当に、この絵のような女なのか?」
若者は少し誇らしそうに答えました。
「私には、絵よりもずっとすてきな人です」
その話は、やがて身分の高い人物の耳にも入りました。
「それほど美しい女がいるというのか」
その人物は絵を見ると、すっかり心を奪われてしまいました。
「この女に会ってみたい」
若者は困りました。
「妻は故郷で私の帰りを待っています」
しかし相手は、自分よりもはるかに力を持つ人物です。
簡単に断れる相手ではありませんでした。
やがて、妻のいる村にもその話が伝わりました。
静かだった家に、突然、見知らぬ者たちがやってきました。
「あなたが、あの絵に描かれた女性ですね」
妻は戸惑いました。
「何のお話でしょう」
「あなたに会いたいというお方がいます」
妻の顔が曇りました。
「私は夫を待っています」
「夫?」
「はい。遠くの町へ働きに出ています」
妻はきっぱりと言いました。
「私は夫と一緒に暮らしたいのです」
けれど、相手は簡単には引き下がりません。
何度断っても話はなくならず、妻はとうとう夫の帰りを待っていた家を離れなければならなくなりました。
妻は何度も振り返りました。
小さな家。
二人で耕した畑。
若者と並んで歩いた道。
どれも、つい昨日まで当たり前にあったものです。
「あなた……」
妻は遠く離れた夫を思いました。
そのころ若者もまた、妻のことを思いながら働き続けていました。
そしてようやく、故郷へ帰れる日がやってきました。
「やっと帰れる」
若者は妻の絵を大切に荷物へ入れました。
来たときと同じ山道を越えます。
疲れていても、足取りは軽いものでした。
「きっと驚くだろうな」
「帰ったら、まず何を話そう」
そんなことを考えながら、懐かしい村へ戻りました。
自分の家が見えてきます。
「ただいま!」
若者は戸を開けました。
しかし――。
返事がありません。
「……?」
家の中は静まり返っていました。
「おーい」
もう一度呼びます。
それでも妻の声は聞こえません。
胸騒ぎがしました。
若者は外へ飛び出しました。
「妻を知りませんか?」
村人たちに尋ねて回ります。
やがて、一人の村人が重い口を開きました。
「お前が持っていった絵が、町の偉い人の目に留まったそうだ」
若者の顔色が変わりました。
「それで?」
「奥さんのところへ人が来たんだ」
若者は言葉を失いました。
自分が寂しさを紛らわせるために描いた、あの一枚の絵。
妻を思って大切にしていた絵。
それがきっかけとなって、妻がいなくなってしまったのです。
若者は家の中へ戻りました。
荷物から妻の絵を取り出します。
絵の中の妻は、以前と変わらず微笑んでいました。
若者は絵を強く握りました。
「待っていてくれ」
「必ず迎えに行く」
次の朝。
若者は再び旅へ出ました。
今度の旅は、仕事へ行くためではありません。
妻を探すための旅でした。
人に尋ねながら町から町へ歩きました。
「この女性を知りませんか?」
妻の絵を見せます。
知らないと言われることもありました。
あちらへ行ったらしいと聞いて向かったのに、何の手がかりもないこともありました。
雨の日も歩きました。
風の強い日もありました。
何日たっても妻に会えません。
それでも若者はあきらめませんでした。
「きっと待っている」
その思いだけを胸に、探し続けました。
そして、たくさんの苦労の末――。
ついに若者は妻の居場所を見つけました。
遠くからでも、すぐに分かりました。
何度も絵を見てきたからではありません。
一緒に暮らしてきた、大切な人だからです。
「……!」
妻も若者に気づきました。
一瞬、信じられないような顔をしました。
そして――。
「あなた!」
若者のもとへ駆け寄りました。
「やっと会えた」
妻の目から涙があふれました。
「もう会えないかと思いました」
「ごめん」
若者も妻の手を握りました。
「もっと早く見つけたかった」
妻は何度も首を横に振りました。
「来てくれただけでいいのです」
若者は言いました。
「どんなに遠く離れていても、君のことを忘れた日は一日もなかった」
「私もです」
二人は、ようやく再び一緒になることができました。
やがて二人は、懐かしい村へ戻りました。
小さな家も、畑も、以前のままです。
ある夜。
二人は久しぶりに囲炉裏のそばへ並んで座っていました。
若者が、旅の間ずっと持ち歩いていた妻の絵を取り出しました。
「ずいぶん傷んでしまったな」
紙の端は折れ、ところどころ汚れていました。
妻は絵を見て笑いました。
「もう、その絵を毎晩見なくてもいいですね」
若者も笑いました。
「ああ」
「今は本物がここにいるからね」
妻は少し照れたように笑いました。
外では山から吹いてきた風が、木々を静かに揺らしていました。
二人は肩を並べ、いつものようにその日にあった出来事を話しました。
貧しくても、小さな家でも。
二人が一緒にいられることが、何よりもうれしいことでした。
それから二人は、互いを大切にしながら、仲良く暮らしたということです。
おしまい。
登場人物
- 若者
山あいの村で暮らす、貧しくても真面目で心優しい男性。妻を深く愛し、離れている間も妻の絵を大切に持ち続けます。 - 妻
美しいだけでなく、人への思いやりを持った心優しい女性。夫が遠くへ働きに出たあとも、その帰りを待ち続けます。 - 身分の高い人
若者が持っていた妻の絵を見て興味を持ち、実際に会いたいと望む人物。そのことが、若者と妻の運命を大きく動かすきっかけになります。 - 村人たち
若者と妻が暮らしていた村の人々。帰ってきた若者に、妻の身に起きた出来事を伝えます。
教訓
- 人の本当の魅力は、見た目だけではなく、その人の優しさや思いやり、生き方の中にもあります。
- 大切な人と離れていても、相手を思う気持ちや信じる気持ちが心の支えになることがあります。
- 大切な人との何気ない毎日は、失って初めて気づくほどかけがえのないものです。
親子で話したいポイント
- 若者は、どうして妻の絵を描いて旅へ持っていったのかな?
- 若者が家へ帰ったとき、妻がいないと分かってどんな気持ちだったと思う?
- 妻は夫が遠くにいる間、どんな気持ちで待っていたのかな?
- 大切な人と離れているとき、どんな方法で気持ちを伝えられるかな?
- 家族や友だちと過ごしていて「幸せだな」と感じるのはどんなとき?
保育士向け活用ポイント
年長児では、「自分が大切にしている人」「その人のどんなところが好きか」を言葉や絵で表現する活動にも活用できます。
「大切な人を思う気持ち」「離れていてもつながっている気持ち」を考える題材として活用できます。
夫婦という関係だけに限定せず、子どもにとって身近な家族や友だちとの関係に置き換えて話を広げると理解しやすくなります。
若者が妻の絵を描く場面から、「大切な人の絵を描く」「好きな人へ絵や手紙を贈る」といった表現活動へ発展させることができます。
「絵の中の姿と、本当に一緒に過ごすことは何が違う?」と問いかけることで、人とのつながりについて考える対話にもつなげられます。


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