あらすじ
むかしむかし、雪深い山里には、吹雪の夜になると「雪女」が現れるという言い伝えがありました。
ある冬の日、年老いた木こりの茂作(もさく)と、若い木こりの巳之吉(みのきち)は、突然の吹雪に襲われ、山小屋で一夜を過ごすことになります。
真夜中、巳之吉が目を覚ますと、そこには白い着物をまとった美しい女が立っていました。
女は茂作に白い息を吹きかけ、次に巳之吉へ近づきます。
しかし、なぜか巳之吉だけは命を助けられました。
雪女は「今夜見たことを誰にも話してはいけない」と言い残し、吹雪の中へ消えていきます。
それから何年か経ち、巳之吉はお雪という美しい女性と出会い、夫婦になります。
幸せな年月が流れた、ある冬の夜。
巳之吉は、長い間胸の奥にしまっていた雪女との出来事を、とうとう妻に話してしまいます。
すると、お雪の表情が変わり――。
雪女との約束と、夫婦として過ごした時間、そして別れを描いた、少し怖くも切ない昔話です。
本文
むかしむかし、雪の深い山里に、茂作(もさく)という年老いた木こりと、巳之吉(みのきち)という若い木こりが住んでいました。
茂作は長い間、山で木を切って暮らしてきたベテランの木こりです。
巳之吉はまだ若く、茂作から山のことや木の見分け方、天気の読み方などを教えてもらっていました。
二人は親子のように仲がよく、朝になると一緒に山へ入り、夕方になると村へ帰ってきました。
冬になると、山は深い雪に覆われます。
木々の枝には雪が積もり、道もほとんど見えなくなりました。
そんなある日のことです。
「今日は少し空が暗いな。」
山へ向かう途中、茂作が空を見上げました。
厚い雲が山の上を覆っています。
巳之吉も空を見ました。
「早めに帰った方がよさそうですね。」
「ああ。仕事を済ませたら、すぐ山を下りよう。」
二人はそう話しながら、山の奥へ入っていきました。
けれど、昼を過ぎたころ――。
ひらり。
ひらり。
空から雪が降り始めました。
最初は小さな雪でした。
ところが、しばらくすると雪はどんどん激しくなっていきました。
風も吹き始めます。
ひゅううう……。
「まずいな。」
茂作が言いました。
「吹雪になるぞ。」
二人は急いで道具をまとめました。
けれど、山を下り始めたころには、もう辺りは真っ白です。
びゅうううう!
強い風が雪を巻き上げます。
目を開けているのも難しいほどでした。
「茂作さん!」
「離れるな、巳之吉!」
少し先を歩く相手の姿さえ、雪に隠れて見えなくなりそうです。
二人は声を掛け合いながら、必死に歩きました。
けれど、いつもの道がどこにあるのか分かりません。
雪は足首を越え、膝の近くまで積もり始めています。
「このまま村へ帰るのは危ない。」
茂作は言いました。
「近くに木こり小屋がある。今夜はそこで休もう。」
二人はようやく、小さな山小屋へたどり着きました。
古びた小屋でしたが、吹雪をしのぐことはできそうです。
ぎいっ。
戸を開けると、中は真っ暗でした。
二人は中へ入り、雪を払い落としました。
「助かった……。」
巳之吉は大きく息をつきました。
けれど、小屋の中は凍えるように寒く、火を起こすものもほとんどありません。
二人は着物を体に巻きつけるようにして、横になりました。
外では吹雪が続いています。
ごおおおお……。
びゅううう……。
風が小屋を揺らします。
ぎし。
ぎしぎし……。
古い柱が不気味な音を立てました。
「明日の朝には、少しおさまってくれるといいが。」
茂作が言いました。
「そうですね。」
巳之吉は答えました。
やがて疲れていた二人は、寒さの中で眠りにつきました。
どれくらい眠ったでしょう。
巳之吉は、ふと目を覚ましました。
「……寒い。」
眠る前よりも、ずっと寒くなっているような気がします。
自分の吐く息が白く見えました。
外ではまだ風が吹いています。
ごおお……。
巳之吉は体を丸め、もう一度眠ろうとしました。
その時です。
ぎい……。
音がしました。
巳之吉は目を開けました。
小屋の戸が――。
ゆっくりと開いています。
「……え?」
鍵をかけたはずでした。
戸の隙間から、白い雪がさらさらと入り込んできます。
ひゅう……。
冷たい風が、巳之吉の頬をなでました。
誰かいるのでしょうか。
巳之吉は体を起こそうとしました。
けれど――。
動けません。
体が凍りついたように、言うことをきかないのです。
ぎい……。
戸がさらに開きました。
その向こうには、吹雪しか見えません。
真っ白な雪。
暗い夜。
その中に――。
何かが立っていました。
巳之吉は息をのみました。
人です。
一人の女が、吹雪の中に立っています。
真っ白な着物。
雪のように白い肌。
長く黒い髪。
月明かりもないのに、その姿だけがぼんやりと浮かび上がっていました。
女は裸足でした。
けれど、雪の上に立っているというのに、寒そうな様子はありません。
それどころか――。
足元に、足跡がありませんでした。
巳之吉の背中を冷たいものが走りました。
「まさか……。」
村で聞いた話を思い出しました。
吹雪の夜。
山の中に現れる、美しい女。
出会った者は、生きて帰れないこともあるという――。
「雪女……。」
巳之吉の唇が震えました。
女は何も言いません。
音も立てず、小屋の中へ入ってきました。
すうっ。
歩いているというより、雪の上を滑るように近づいてきます。
女はまず、眠っている茂作のそばへ行きました。
巳之吉は声を出そうとしました。
「茂作さん……。」
けれど声になりません。
女が茂作の顔をのぞき込みます。
そして――。
ふううう……。
白い息を吹きかけました。
茂作の髪に霜がつきました。
眉も白くなります。
顔から少しずつ血の気が消えていきました。
「茂作さん……!」
巳之吉は叫びたかったのですが、やはり声が出ません。
茂作は、ぴくりとも動かなくなりました。
女はゆっくりと顔を上げました。
そして――。
巳之吉の方を見ました。
目が合いました。
巳之吉の心臓が大きく鳴りました。
どくん。
どくん。
女が近づいてきます。
すうっ。
すうっ。
巳之吉のすぐそばまで来ると、女は静かに顔をのぞき込みました。
美しい顔でした。
けれど、その美しさは人間のものとは思えません。
冷たく、白く、まるで雪そのものが人の姿になったようでした。
巳之吉は震えていました。
逃げることもできません。
助けを呼ぶこともできません。
女の顔が近づきます。
冷たい息が頬に触れました。
「お前も同じようにするところだった。」
雪女の声は静かでした。
けれど、吹雪の音よりもはっきりと耳に届きました。
巳之吉は目を閉じました。
もう駄目だ。
そう思いました。
しかし――。
何も起こりません。
恐る恐る目を開けると、雪女はじっと巳之吉を見つめていました。
「お前はまだ若い。」
雪女は言いました。
「今夜は助けてやろう。」
巳之吉は息をのみました。
「だが――。」
雪女の目が、鋭く光ったように見えました。
「今夜ここで見たことを、誰にも話してはいけない。」
「父にも、母にも、兄弟にも、友にも。」
「誰にもだ。」
巳之吉は震えながらうなずきました。
「は……はい。」
「約束できるか。」
「できます。」
「誰にも話しません。」
雪女はしばらく巳之吉を見つめていました。
そして静かに言いました。
「もし約束を破ったら――。」
そこで言葉を止めます。
小屋の中が、さらに冷たくなったように感じられました。
「ただでは済まない。」
びゅうううう!
突然、強い風が吹き込みました。
巳之吉は思わず目を閉じました。
次に目を開けた時――。
雪女はいませんでした。
開いた戸の向こうには、吹雪だけが渦巻いています。
「……消えた。」
巳之吉はしばらく動けませんでした。
やがて体が動くようになると、すぐに茂作のそばへ行きました。
「茂作さん!」
肩を揺らします。
「茂作さん!」
返事はありません。
その体は氷のように冷たくなっていました。
巳之吉は一人、朝が来るまで震えながら小屋の中で過ごしました。
翌朝。
吹雪はおさまっていました。
雪に覆われた山は、昨日の夜の出来事など何も知らないかのように静かでした。
巳之吉は山を下りました。
村へ帰ってからも、雪女との約束を守りました。
あの夜のことは、誰にも話しませんでした。
茂作に何が起きたのか尋ねられても、吹雪の中で亡くなったとだけ話しました。
時が過ぎていきました。
一年。
二年。
そして、さらに何年か経ちました。
巳之吉は立派な青年になりました。
雪女と出会った夜のことも、普段は思い出さなくなっていました。
けれど冬になると――。
ごおお……。
山から冷たい風が吹いてくるたび、あの白い女の姿が頭に浮かびます。
そんなある日のこと。
巳之吉は村へ向かう道で、一人の若い女性と出会いました。
とても美しい女性でした。
肌は白く、長い黒髪をしています。
「どちらへ行かれるのですか?」
巳之吉が尋ねました。
女性は答えました。
「行くところを探しています。」
「名前は?」
「お雪といいます。」
巳之吉は、その名前を聞いて少し不思議な気持ちになりました。
けれど、女性の穏やかな笑顔を見ているうちに、その気持ちも消えていきました。
巳之吉はお雪を村へ案内しました。
それから二人は何度も話をするようになり、やがて夫婦になりました。
お雪はとても優しい女性でした。
よく働き、家のことを大切にしました。
やがて二人には子どもたちも生まれました。
お雪は子どもたちを大切に育てました。
笑い声の絶えない、温かな家でした。
春が来て、
夏が過ぎ、
秋が訪れ、
また冬になります。
何年もの月日が流れていきました。
お雪は不思議なほど、いつまでも若く美しいままでした。
けれど巳之吉は、それを深く考えませんでした。
幸せだったからです。
そんな、ある冬の夜のことでした。
外では静かに雪が降っていました。
しんしん……。
子どもたちは、もう眠っています。
巳之吉は囲炉裏のそばに座り、仕事をするお雪を眺めていました。
ぱちっ。
薪がはぜました。
赤い火が、お雪の横顔を照らします。
巳之吉は、ふと目を細めました。
白い肌。
長い黒髪。
火の明かりの中で見たその横顔が――。
ずっと昔、山小屋で見た女に似ているような気がしたのです。
巳之吉の胸の奥で、忘れていた記憶がよみがえりました。
「そういえば……。」
お雪が顔を上げました。
「どうしました?」
「いや。」
巳之吉は少し迷いました。
あの夜の約束。
――誰にも話してはいけない。
長い年月が過ぎています。
あれは本当に起きたことだったのでしょうか。
夢だったのではないでしょうか。
それに、お雪は自分の妻です。
何年も一緒に暮らしてきた、大切な家族です。
巳之吉は、とうとう口を開きました。
「お雪。」
「はい。」
「お前を見ていると、昔会った女のことを思い出すんだ。」
お雪の手が止まりました。
「昔……?」
「ああ。」
巳之吉は気づきませんでした。
お雪の表情から、ゆっくり笑顔が消えていくことに。
「ずっと昔、茂作さんと山へ入った時のことだ。」
囲炉裏の火が、ぱちりと鳴りました。
「ひどい吹雪になって、二人で山小屋に泊まった。」
お雪は何も言いません。
「その夜――。」
巳之吉は続けました。
「真っ白な着物を着た女が現れたんだ。」
その瞬間。
家の中を、冷たい風が通り抜けました。
巳之吉は顔を上げました。
戸は閉まっています。
それなのに――。
「寒いな……。」
お雪は、うつむいたままでした。
「その女は茂作さんに白い息を吹きかけた。」
「そして、茂作さんは……。」
巳之吉はそこで言葉を止めました。
お雪がゆっくりと顔を上げたからです。
その顔は、悲しそうでした。
「あなた。」
「どうした?」
「その話を――。」
お雪の声が少し変わっていました。
いつもの温かな声ではありません。
静かで、冷たい声。
巳之吉の背中に寒気が走りました。
「誰にも話さないと、約束したのではありませんか?」
巳之吉の顔から血の気が引きました。
「……え?」
囲炉裏の火が小さくなりました。
部屋の空気が、急に冷えていきます。
巳之吉の吐く息が白くなりました。
「まさか……。」
お雪が立ち上がりました。
その白い肌が、さらに青白く見えます。
長い黒髪が、風もないのにゆらりと揺れました。
巳之吉は立ち上がることもできません。
目の前のお雪の姿に、遠い昔の記憶が重なっていきます。
山小屋。
吹雪。
真っ白な着物。
冷たい息。
「お雪……お前は……。」
お雪は静かに答えました。
「そうです。」
「私は、あの夜の雪女です。」
巳之吉は言葉を失いました。
「そんな……。」
「あなたを助けたのは、あなたがまだ若かったから。」
お雪は巳之吉を見つめました。
その目には、悲しみが浮かんでいました。
「そして、あなたの中に優しい心を感じたからです。」
巳之吉は震える声で言いました。
「それじゃあ……今までずっと……。」
「はい。」
お雪は答えました。
「私はあなたと暮らしていました。」
「あなたと夫婦になり、子どもたちと暮らした日々は、私にとっても幸せな時間でした。」
巳之吉は、お雪へ手を伸ばしました。
「だったら、このままここにいてくれ。」
お雪は首を横に振りました。
「できません。」
「どうしてだ!」
「あなたは約束を破ってしまいました。」
お雪の目に涙が浮かびました。
その涙は頬を流れ、きらりと光ると、小さな氷の粒になって床へ落ちました。
「本当なら――。」
お雪は静かに言いました。
「約束を破ったあなたを許すことはできません。」
巳之吉は息をのみました。
けれど、お雪は眠っている子どもたちの方を見ました。
「でも。」
その声が、少しだけ優しくなりました。
「あなたは、この子たちの父親です。」
巳之吉は何も言えません。
「子どもたちを大切に育ててください。」
「お雪……。」
「もし、この子たちを悲しませるようなことがあれば――。」
お雪の目が一瞬、雪女の冷たい光を宿しました。
「その時は、私は必ず戻ってきます。」
巳之吉は震えながらうなずきました。
「約束する。」
「子どもたちは、必ず大切にする。」
お雪は静かに笑いました。
それは雪女ではなく、巳之吉が長い年月を共に過ごしてきた妻の笑顔でした。
「ありがとう。」
その瞬間――。
外から強い風が吹きました。
びゅうううう!
戸が大きく揺れます。
囲炉裏の火が消えました。
辺りが暗くなります。
「お雪!」
巳之吉が叫びました。
白い雪が、どこからともなく部屋の中へ舞い込みました。
ひらり。
ひらり。
お雪の姿が、その雪の中で少しずつ薄くなっていきます。
「待ってくれ!」
巳之吉は手を伸ばしました。
けれど、その手はお雪に届きません。
「子どもたちを……お願いします。」
それが最後の言葉でした。
次の瞬間。
ふわっ。
白い雪が舞い上がり――。
お雪の姿は消えていました。
「お雪……。」
巳之吉は、その場に立ち尽くしました。
外では雪が降り続いています。
しんしん。
しんしん。
まるで何事もなかったかのように。
それから巳之吉は、お雪との約束を守りました。
子どもたちを大切に育てました。
春になり、雪が解けても。
夏になり、山が緑に覆われても。
秋になり、木々が赤く染まっても。
そして再び、冬が来ても。
お雪が帰ってくることはありませんでした。
けれど雪の降る夜になると、巳之吉は時々、戸の外へ目を向けました。
しんしんと降る雪の向こう。
木々の間に、白い人影が立っているように見えることがありました。
「お雪……。」
巳之吉が外へ出ると、そこには誰もいません。
ただ、真っ白な雪が降っているだけでした。
それでも巳之吉は、雪が降るたびに思いました。
どこか遠い雪山から、お雪が子どもたちを見守っているのかもしれない、と。
ある冬の夜。
巳之吉は眠っている子どもたちに布団を掛け直し、静かに戸を閉めました。
外では、今年も雪が降っています。
その時。
遠くから、女の声が聞こえたような気がしました。
「ありがとう……。」
巳之吉は振り返りました。
けれど、そこには誰もいません。
庭に積もった真っ白な雪の上にも、足跡は一つもありませんでした。
おしまい。
登場人物
- 巳之吉
茂作とともに山で働く若い木こり。吹雪の夜に雪女と出会い、「誰にも話してはいけない」と約束します。後にお雪と夫婦になり、幸せな家庭を築きます。 - 雪女(お雪)
吹雪の夜に現れる不思議な女性。茂作の命を奪いますが、若い巳之吉だけは助け、秘密を守るよう約束させます。その後「お雪」として巳之吉の前に現れ、妻として長い年月を共に過ごします。 - 茂作
年老いた木こり。巳之吉とは親子のように仲がよく、一緒に山へ入って働いていました。吹雪の夜、山小屋で雪女に出会います。 - 巳之吉とお雪の子どもたち
二人の間に生まれた子どもたち。お雪が巳之吉との約束を破られた後も彼を傷つけなかった、大きな理由となります。
教訓
- 一度交わした約束には責任があり、長い時間が経っても、その意味がなくなるとは限らない。
- 大切な人と過ごせる時間は、いつまでも続くとは限らないからこそ、一緒にいられる時間を大切にする。
- 人には、自分が知らない過去や一面があることを忘れずに向き合う。
親子で話したいポイント
- 巳之吉は、どうして雪女との約束を長い間守っていたのかな?
- 巳之吉は、なぜ最後にお雪へ昔の出来事を話してしまったのだろう?
- お雪は、なぜ巳之吉を助けたと思う?
- 約束を破られたお雪は、どんな気持ちだったのかな?
- お雪は怖い存在だったのか、それとも優しい存在だったのか、どちらだと思う?
保育士向け活用ポイント
- 吹雪の山小屋や雪女が現れるまでの静けさ、冷たさ、物音を丁寧に読むことで、子どもたちが想像を膨らませながら楽しめる怪談・伝承として活用できます。
- 「誰にも話さない」という約束を軸に、約束を守る意味や、相手との信頼について考える活動につなげられます。
- 雪女を単純な「怖い妖怪」として扱うだけでなく、妻や母として家族を大切にしたお雪の姿から、「怖さ」と「優しさ」の両方を持つ登場人物について考えることができます。
- 雪、吹雪、白い着物、山小屋など視覚的にイメージしやすい要素が多く、冬の読み聞かせや絵画、製作、劇遊びにも発展させやすい物語です。


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