あらすじ
むかし、山奥で暮らす一人の男がいました。
ある日、男が山の近くの水辺へ行くと、天から舞い降りてきた美しい天人たちが水浴びをしていました。
男はその中の一人が脱いでいた羽衣を見つけ、こっそり隠してしまいます。
羽衣がなければ、天人は空へ帰ることができません。
一人だけ地上に残された天人は、やがて男と一緒に暮らすようになり、二人の間には子どもも生まれました。
家族と穏やかな日々を送りながらも、天人は失った羽衣のことを忘れることができません。
そしてある日、子どもたちが偶然、隠されていた羽衣を見つけます。
ようやく羽衣を取り戻した天人は、家族との別れを惜しみながら、再び天の世界へと帰っていくのでした。
本文
むかしむかし、山奥に一人の男が暮らしていました。
男の家の周りには深い森が広がり、その向こうには高い山々が連なっていました。
男は毎朝早く起きて畑へ向かいます。
土を耕し、種をまき、作物を育てながら、一人で静かに暮らしていました。
ある日のことです。
男は山の近くにある水辺へ出かけました。
木々の間を抜けて歩いていると、どこからか楽しそうな声が聞こえてきます。
「こんな山奥で、誰だろう?」
男は足を止めました。
声は水辺のほうから聞こえてきます。
そっと近づいてみると――。
男は思わず息をのみました。
水辺に、見たこともないほど美しい女たちがいたのです。
女たちは水の中で楽しそうに遊んでいました。
そのそばには、薄く美しい衣が置かれています。
風が吹くと、その衣はふわりと揺れました。
「人ではないのか……?」
男は木陰から、じっと様子を見ていました。
やがて男は気づきました。
彼女たちは地上の人間ではありません。
天からやって来た天人たちだったのです。
天人たちは、天を飛ぶための羽衣を脱いで水浴びをしていました。
男は、岸辺に置かれている羽衣を見つめました。
その中の一枚が、すぐ近くにあります。
「これがなければ、天へ帰れないのではないか……。」
男の心に、ある考えが浮かびました。
男はそっと近づき、一人の天人の羽衣を手に取りました。
そして、見つからない場所へ隠してしまったのです。
しばらくすると、天人たちは水から上がりました。
それぞれが自分の羽衣を身につけます。
すると――。
ふわり。
一人、また一人と、天人たちの体が空へ浮かび上がりました。
ところが。
「ない……。」
一人の天人だけが、辺りを探し回っています。
「わたしの羽衣がない。」
草むらを探しても。
木の陰を探しても。
どこにもありません。
「どこへいったの……?」
ほかの天人たちは空から心配そうに見つめていました。
けれど、いつまでも地上にいることはできません。
やがて仲間たちは空高く昇り、雲の向こうへ消えていきました。
水辺には、一人の天人だけが残されました。
天人は何度も羽衣を探しました。
けれど見つかりません。
空を見上げても、もう仲間たちの姿はありませんでした。
そのとき、男が姿を現しました。
「どうしたのですか?」
天人は男を見ました。
「羽衣をなくしてしまったのです。」
「羽衣?」
「はい。あれがなければ、わたしは天へ帰れません。」
男は羽衣のことを知っていました。
自分が隠したのですから。
けれど、そのことは天人に言いませんでした。
男は天人を自分の家へ連れて帰りました。
こうして天人は、男と一緒に暮らすようになりました。
それまで天の世界で暮らしていた天人にとって、地上での生活は知らないことばかりでした。
朝になれば鳥の声が聞こえます。
昼には畑仕事をします。
夕方になると山の向こうへ太陽が沈みます。
男と天人は、少しずつ一緒に暮らすことに慣れていきました。
やがて二人は夫婦になりました。
そして二人の間には、子どもたちも生まれました。
家の中には、以前にはなかった笑い声が響くようになりました。
「おかあさん!」
子どもたちは天人のもとへ駆け寄ります。
天人は子どもたちを抱きしめました。
男も、そんな家族の姿をうれしそうに見つめていました。
穏やかな日々が続きました。
けれど――。
天人は、羽衣のことを忘れてはいませんでした。
ときどき一人で空を見上げました。
青い空。
ゆっくり流れていく白い雲。
そのずっと向こうには、自分がかつて暮らしていた天の世界があります。
「羽衣は、どこへいってしまったのだろう……。」
家族と暮らす毎日は大切でした。
子どもたちも愛していました。
それでも、心の奥にはいつも天の世界への思いが残っていました。
ある日のことです。
子どもたちが家の中で遊んでいました。
「あっ、こんなところに何かあるよ。」
一人の子どもが、隠されていたものを見つけました。
「なあに、これ?」
子どもたちが取り出したのは、美しい衣でした。
薄く、軽く、地上のものとは思えないほど美しい衣です。
「きれいだね。」
「おかあさんに見せよう!」
子どもたちは、その衣を持って母親のところへ走っていきました。
「おかあさん、見て!」
天人が振り返りました。
そして――。
その場で動かなくなりました。
子どもたちが持っていたもの。
それは、ずっと探し続けていた羽衣でした。
「これは……。」
天人は震える手で羽衣を受け取りました。
間違いありません。
あの日、水辺でなくした自分の羽衣です。
天人は羽衣を胸に抱きました。
「やっと……見つかった。」
その声を聞き、男がやってきました。
そして天人が持っているものを見た瞬間、顔色が変わりました。
「それは……。」
天人は男を見ました。
男の表情を見れば、何も聞かなくても分かりました。
「あなたが隠していたのですね。」
男は答えることができませんでした。
しばらく、家の中に沈黙が流れました。
天人は羽衣を見つめました。
これを身につければ、天へ帰ることができます。
ずっと探し続けていた羽衣です。
天人は静かに言いました。
「これで、帰れます。」
男は驚きました。
「待ってくれ。」
天人は羽衣を手にしたまま、男を見つめます。
「行かないでくれ。」
男の声は震えていました。
「ここで、このまま一緒に暮らしてくれ。」
子どもたちも、いつもとは違う父と母の様子を見つめています。
天人は子どもたちを見ました。
地上で暮らすうちに生まれた、大切な子どもたちです。
けれど天人には、帰らなければならない天の世界がありました。
天人は羽衣を広げました。
ふわり。
軽い羽衣が風を受けて揺れます。
そして、その羽衣を身につけました。
すると――。
天人の体が、少しずつ地面から離れ始めました。
「おかあさん!」
子どもたちが叫びました。
「待って!」
子どもたちは母親へ向かって手を伸ばしました。
男も空を見上げます。
「行かないでくれ!」
けれど天人の体は、ゆっくりと空へ昇っていきます。
家の屋根より高く。
木々より高く。
そして、山よりも高い空へ。
「おかあさーん!」
子どもたちは母親を追いかけるように走りました。
けれど、空を飛ぶことはできません。
天人も、何度も地上を振り返りました。
そこには、男と子どもたちがいます。
一緒に暮らした家があります。
畑があります。
たくさんの思い出があります。
けれど羽衣は、天人をさらに高い空へ運んでいきました。
男と子どもたちは、いつまでも空を見上げていました。
天人の姿は、だんだん小さくなっていきます。
やがて白い雲の近くまで昇りました。
「いつか、また会えるでしょうか。」
地上から声が聞こえます。
天人は、もうずっと遠くにいました。
風が山を渡っていきます。
木々の葉が、さらさらと揺れました。
男と子どもたちは、その場から動かず、天人の姿が見えなくなるまで空を見つめていました。
やがて天人は雲の向こうへ消えていきました。
空には、白い雲だけがゆっくりと流れていました。
おしまい。
登場人物
天人
天の世界から地上へやって来た女性。水浴びをしている間に羽衣を隠され、天へ帰れなくなります。男と夫婦になり子どもたちにも恵まれますが、失った羽衣を探し続けています。
男
山奥で一人で暮らしている男性。水辺で天人たちを見つけ、そのうち一人の羽衣を隠します。天人と夫婦になり家族として暮らしますが、やがて隠していた羽衣を見つけられます。
子どもたち
男と天人の間に生まれた子どもたち。偶然、隠されていた母親の羽衣を見つけます。
教訓
どれほど相手を大切に思っていても、その人の自由や本当の気持ちを奪ってよいわけではない。
相手に大切なことを隠したまま築いた関係は、いつか信頼を失うことにつながる。
大切な人との別れは悲しいものでも、一緒に過ごした時間や思い出までなくなるわけではない。
親子で話したいポイント
天人は、どうして天の世界へ帰りたかったのかな?
男が天人の羽衣を隠したことについて、どう思う?
好きな人や大切な人でも、その人の気持ちや自由を大切にする必要があるのはどうしてだろう?
天人が空へ帰るとき、男や子どもたちはどんな気持ちだったと思う?
大切な人と離れるとき、どんなことを伝えたい?
保育士向け活用ポイント
「家族」「別れ」「相手の気持ちを尊重すること」を考える題材として活用できます。
天人が地上で家族を持ちながらも、天の世界へ帰りたいという思いを持ち続ける展開から、「自分が大切にしたい気持ち」と「相手が大切にしたい気持ち」が同じとは限らないことを、子どもにも分かりやすい言葉で考えるきっかけにできます。
また、進級や卒園、転園、引っ越しなど、親しい人との別れや環境の変化を経験する時期に、「離れても一緒に過ごした思い出は残る」というテーマへつなげることもできます。
羽衣を使った製作や、布を使って天人が空を舞う様子を表現する身体遊びなど、物語の幻想的な世界を楽しむ活動にも発展させられます。


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