あらすじ
むかし、ある村に、少し臆病な男が住んでいました。
ある夜、男が仕事を終えて峠道を歩いていると、暗い山の上から不思議な声が聞こえてきます。
「おぶさりたいよう……。」
「だかさりたいなあ……。」
人の姿はどこにも見えません。
恐ろしくなった男は、その夜は逃げるように家へ帰ってしまいます。
けれど、あの声はいったい何だったのか、どうしても気になって仕方ありません。
そこで男は勇気を出し、もう一度夜の峠へ向かいます。
そして声の正体を確かめようと近づいてみると、男は思いがけないものを背負って帰ることになるのでした。
怖いものだと思っていた不思議な存在が、思わぬ幸せを運んでくる昔話です。
本文
むかしむかし、ある村に、一人の男が住んでいました。
男は働き者でしたが、少し臆病なところがありました。
とくに暗い夜道は苦手です。
木の枝が風で揺れただけでも、
「今、何か動かなかったか?」
と振り返ってしまいます。
そんな男が、ある日、遠くまで仕事に出かけました。
仕事が終わったころには、もうすっかり日が暮れていました。
「ずいぶん遅くなってしまったな。」
家へ帰るためには、山の峠を越えなければなりません。
昼間なら何度も歩いたことのある道です。
けれど、夜になるとまるで違う場所のように見えました。
山の向こうには月が浮かんでいます。
月明かりに照らされた細い峠道が、暗い木々の間をどこまでも続いていました。
ざっ。
ざっ。
男の足音だけが響きます。
ひゅう……。
冷たい風が山を吹き抜けました。
木々の枝が揺れます。
ざわざわ……。
「早く帰ろう。」
男は歩く速さを少し上げました。
そのときです。
どこからともなく、声が聞こえてきました。
「おぶさりたいよう……。」
男の足がぴたりと止まりました。
「……え?」
辺りを見回します。
右を見ても。
左を見ても。
誰もいません。
「気のせいか。」
男は自分に言い聞かせました。
そして、再び歩き始めます。
ざっ。
ざっ。
すると――。
「だかさりたいなあ……。」
今度は、はっきり聞こえました。
男の背中がぞくりとしました。
「だ、誰だ?」
男は山のほうを見上げました。
暗い木々が重なり、その向こうはよく見えません。
返事はありません。
しん……。
急に風まで止まったようでした。
男は耳を澄ませます。
何も聞こえません。
「誰かいるのか?」
もう一度呼びかけました。
けれど――。
返事はありません。
男は少しずつ怖くなってきました。
「まさか……お化けじゃないだろうな。」
そう思った瞬間です。
「おぶさりたいよう……。」
また、声がしました。
さっきよりも近くから聞こえたような気がします。
「うわっ!」
男はもう我慢できませんでした。
「お、お化けだ!」
くるりと向きを変えると、峠道を一目散に走りました。
ざっ、ざっ、ざっ!
後ろは見ません。
木の枝が顔に当たっても、石につまずきそうになっても、夢中で走りました。
「ついてくるなよ!」
何かが追いかけてきているわけでもないのに、男は必死です。
ようやく家へ着くと、戸を閉めました。
「はあ……はあ……。」
男は何度も息を整えました。
外は静かです。
あの声も聞こえません。
「怖かった……。」
その夜、男は布団に入りました。
けれど、なかなか眠れません。
目を閉じると、あの声がよみがえります。
「おぶさりたいよう……。」
「だかさりたいなあ……。」
「いったい、あれは何だったんだ?」
恐ろしい。
けれど――。
気になります。
「本当にお化けだったのだろうか。」
次の日になっても、男は昨夜のことを忘れられませんでした。
そこで、友達に話してみることにしました。
「昨日の夜、峠を歩いていたらな……。」
男は、聞いた声のことを話しました。
「山の上から『おぶさりたいよう』って聞こえたんだ。」
友達は目を丸くしました。
「それで?」
「怖くなって逃げてきた。」
「姿は見たのか?」
男は首を横に振りました。
「いや。見ていない。」
「それじゃあ、本当にお化けだったのか分からないじゃないか。」
「でも、夜の山から声がしたんだぞ。」
友達は少し考えました。
そして言いました。
「そんなに気になるなら、もう一度行って確かめてみたらどうだ?」
「もう一度?」
男の顔がこわばりました。
「あそこへ?」
「逃げてしまったら、いつまでも何だったのか分からないぞ。」
男は黙り込みました。
たしかに、その通りです。
このままでは、峠を通るたびにあの声を思い出してしまうでしょう。
「……分かった。」
男は決心しました。
「今度は逃げない。」
そして、その日の夜。
男は再び峠へ向かいました。
月が山の上に浮かんでいます。
昨日と同じ道。
昨日と同じ木々。
けれど男の胸は、昨日よりもどきどきしていました。
ざっ。
ざっ。
一歩ずつ歩きます。
「大丈夫だ。」
自分に言い聞かせました。
「今日は確かめに来たんだ。」
やがて、昨日声を聞いた辺りまでやってきました。
男は立ち止まりました。
しん……。
何も聞こえません。
「今日は出ないのか?」
男がそう思った、そのときです。
山の上のほうに、ぼんやりと何かが光っているのが見えました。
「……あれは?」
男は目を凝らしました。
暗闇の中に、小さな光が浮かんでいます。
火のようにも見えます。
けれど、動きません。
男の心臓がどくんと鳴りました。
そして――。
「おぶさりたいよう……。」
あの声です。
男は震えました。
「やっぱりいる……。」
足が逃げ出したがっています。
けれど、男は踏みとどまりました。
「今日は確かめるんだ。」
ゆっくり。
ゆっくり。
光るものへ近づいていきます。
一歩。
また一歩。
近づくほど、足が重く感じられました。
「おぶさりたいよう……。」
声が聞こえます。
男は勇気を振りしぼりました。
「お前は何者だ?」
声を上げます。
すると――。
「おぶさって帰りたい……。」
暗闇の中から答えが返ってきました。
男はごくりと唾をのみ込みました。
逃げようか。
やっぱり帰ろうか。
そんな考えが頭をよぎります。
けれど、ここまで来たのです。
男は思い切って、光るものに背中を向けました。
「それなら――。」
震える声で言いました。
「おぶさってみろ。」
一瞬、何も起こりませんでした。
しん……。
「……?」
男が振り返ろうとした、そのときです。
どしん!
「うわっ!」
突然、何かが男の背中に乗りました。
「お、重い!」
男は倒れそうになりました。
背中に乗ったものは、ずっしりと重く、肩に食い込んできます。
「なんだ、これは……。」
けれど、男は振り返ることができません。
背中に何が乗っているのか見えないのです。
もし恐ろしい化け物だったら――。
そう思うと、ますます怖くなりました。
「家まで……帰ればいいんだな?」
返事はありません。
男は覚悟を決めました。
「よし。」
一歩、歩きます。
ずしっ。
「うう……。」
また一歩。
ずしっ。
背中のものは、とても重たいものでした。
「こんなに重いもの、いったい何なんだ。」
汗を流しながら、男は峠道を歩き続けました。
ざっ。
ざっ。
途中で何度も立ち止まりました。
「もうだめだ。」
そう思っても、背中のものを置いていく勇気もありません。
「ここまで来たんだ。家まで運んでやる。」
男はまた歩きました。
やがて、遠くに村の明かりが見えてきました。
「もう少しだ。」
山道を下り。
村へ入り。
ようやく自分の家へたどり着きました。
「着いたぞ。」
男は戸を開けました。
家の中には明かりがあります。
男はゆっくりと背中のものを下ろしました。
どさっ。
「ふう……。」
大きく息を吐きます。
そして、恐る恐る振り返りました。
「いったい何を背負ってきたんだ……?」
明かりの下で、男は目を見開きました。
そこにいたのは――。
恐ろしい顔をした化け物ではありません。
長い髪のお化けでもありません。
男の前にあったのは、思いもよらないものでした。
「こ、これは……!」
お金。
そして、宝物。
男は何度も目をこすりました。
けれど、消えません。
「本物なのか?」
恐る恐る触ってみます。
やはり、お金や宝物です。
男は呆然としました。
昨日は、声を聞いただけでお化けだと思い、逃げ帰りました。
もし今日も逃げていたら、この宝物を背負って帰ることはなかったでしょう。
男は、あの暗い峠のほうを思い浮かべました。
「おぶさりたいよう……。」
あんなに恐ろしかった声。
けれど、その声の主が男に運ばせたものは、思いがけない宝でした。
男はしばらく宝物を見つめていました。
そして、ぽつりと言いました。
「確かめてみなければ、分からないものだな。」
外では夜風が静かに吹いていました。
遠くの山は暗闇に包まれています。
けれど男には、昨日までとは少し違って見えました。
おしまい。
登場人物
男
夜の峠で不思議な声を聞く主人公。少し臆病で、最初は声をお化けだと思って逃げますが、友達の言葉をきっかけに勇気を出して正体を確かめに行きます。
光るもの・化け物
夜の山から「おぶさりたい」と男に呼びかける不思議な存在。男の背中に乗り、家まで運んでもらいますが、その正体は男が想像していたような恐ろしいものではありませんでした。
友達
男から夜の峠で聞いた声について相談され、「もう一度行って確かめてみたらどうだ」と背中を押す人物です。
教訓
怖いと感じたときにも、想像だけで決めつけず、落ち着いて確かめることで本当の姿が分かることがある。
知らないものや分からないものを怖いと思うのは自然なことだが、最初の印象だけですべてを決めつけないことも大切。
勇気を出して一歩踏み出すことで、それまで知らなかったものや思いがけない発見に出会うことがある。
親子で話したいポイント
男は、最初に声を聞いたとき、どうしてお化けだと思ったのかな?
姿が見えないものから声が聞こえたら、どんな気持ちになる?
男はどうして、もう一度夜の峠へ行くことができたのかな?
怖いと思っていたものが、実際には怖くなかった経験はある?
怖いときや不安なときには、どうすれば少し落ち着くことができるかな?
保育士向け活用ポイント
「怖いもの」「知らないもの」「先入観」をテーマにした活動に活用できます。
男が最初は声だけを聞いて「お化けだ」と思い込んでしまう場面から、「見たことがないものや知らないことを怖いと感じること」について子どもたちと話すきっかけにできます。
その際、子どもの「怖い」という気持ちを否定するのではなく、「どうしたら安心して確かめられるかな?」「一人では怖いときはどうする?」と考えることで、安心できる人に助けを求めることにもつなげられます。
また、「おぶさりたいよう」という特徴的な言葉を使った掛け合いや、何かを背負って歩く身体表現など、少し不思議で楽しい昔話として表現遊びに発展させることもできます。


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